今春の神奈川県大会を42年ぶりに制した武相が、9日に夏の初戦を迎える。

1968年(昭43)以来56年ぶり5度目の甲子園出場に挑むのは、OBの豊田圭史監督(40)だ。大学球界では北東北大学野球リーグ10連覇などの実績を挙げ、20年8月に母校の指揮官に就任してから4年。「古豪復活」の兆しをつかみつつある今の思いや、指導方針に迫った。【取材・構成=鎌田直秀】

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「高校野球は本当に面白いです。大学生とも違って、超純粋。かわいいもん。やめられない」

豊田監督の選手たちへの愛情表現は止まらない。一方で、OBとして同校の歴史を含めた現状もしっかり把握し、時には厳しい目線も注ぐ。大学野球と高校野球の違いは何か-。その改革や構築の1つは、選手、保護者、監督を含むスタッフの良好な三角関係だ。

「中堅私学で技術のないチームがエリートに勝つには、この3点がマッチしていなかったら、絶対に勝てない。保護者の方が好き勝手に指導者や子供たちの批判をしたりとか、指導者が親御さんに壁をつくってしまったりとか。子供たちと僕ら、子供たちと保護者も。豊田はこういう思いを持って、選手に接していますということを話しをするよう心がけてきたつもり。それは今の時代はすごく大事だと思った。新チームになった時から、3つのまとまりを感じていたので、強いかもというのはあったんです。家族になること」

自身の選手時代にコーチだった小間章仁部長や、一緒に就任した白浜暁コーチとのサポートにも感謝する。

「病気を克服した部長がベンチ入りしてくれたことで、隣に采配の相談相手がいて心強いですし、白浜コーチは僕の発した言葉を選手との間に立って伝えてくれることも多い。『俺はこう思うけれど監督がそう言うならそうじゃない』とか、『監督はこう言っているけれど、俺はこう思うよ』とか監督以外の方が僕の理論を植え付けるのではなく、僕のほうに目を向けさせてくれる。正直、中学で全国経験のある選手はほぼいない。でも、4年前に比べて入学時の野球レベルはそんなに変わっていないと思うけれど、志は今のほうが高いですね」

選手の未来に責任を持つことに変わりはない。富士大時代は数多くのプロ選手を輩出しただけでなく、野球を継続する人材を増やすことに重きを置いてきた。今も全国各地に足を運び、人脈を広げている。入学してくれた生徒には1人1人しっかり向き合う。ここ数年は野球だけでなく中学での学業も重視している。

「理解力の高い子は、この人が言ってることは正解だなと思ったら、本気でそこに向かって頑張ってくれる。僕の知っている範囲ですが、1学年10人以上が卒業後も野球を続けた代はたぶんなかった。野球の楽しさを教えていないってことになる。それじゃダメ。今の大学1年生が10人、今年の3年生は15人が大学で続ける予定。昔と違うというのは数字になって出ている。1人でも野球を継続させるというのが、僕ら指導者の1つ大事なことだと思う」

学校側にも協力を求めてきた。22年7月には学校創立80周年事業として、グラウンドが人工芝球場へと変わった。

「野球部に力を注いでくれた感覚だったと思う。タイミング的にはよかった。けれど、よくよく考えると、あれだけのグラウンドですが、あれは学校の校庭なんですよ。優先して使わせていただたいているのが野球部なんです。そこまでお金をかけたのにそれなりの兆しが見えなかったら、まわりも納得しないですよね。学校の先生たちも。そのプレッシャーはかなりありました」

就任から4年。この1年、周囲には結果を示さなくてはいけない覚悟も伝えていた。

「強くなったという結果の兆しが4、5年で見えなかったら、辞めるとも言っていた。ダメだったら、どこかで修行し直そうと思っていたんですよ。特に武相はそういう周期で監督を替えてきた。新しい人材を探そうということが当たり前になってくる」

だが、ある一戦で手応えを得て冬を越した24年でもあった。昨秋の9月17日、秋季県大会4回戦。勝った試合ではなく、優勝した桐光学園に延長10回タイブレークで敗れた1試合だった。

「あれが一番ですね。自分がやってきた野球をとりあえず選手にやらせてみて、桐光学園の選手の質にタイブレークまでいくんだと。前の日も三浦学苑とタイブレークで、結構体はきつかったんです。でも、これだけやれるならチャンスあるなと思ったのが、その試合でした。高校野球って監督次第だなって思い知らされた試合でもあった」

10回表を1点に抑えた同裏の攻撃。無死一、二塁から犠打を決め1死二、三塁。代打を送った。だが、三振。0点に終わった反省が、高校野球観も変えた。

「代打の子は打率は高いけれど、直近は三振する確率も高い選手だったんです。でも替える前のバッターはバットを短く持って三振の少ない子だった。采配が勝ちに行っちゃったんです。この回で決めたい、同点にしてタイブレークをもう1回ということが頭の片隅にも持てなかった。2点取りにいってサヨナラと。打順の巡り合わせからいっても、11回は確実にうちのほうが巡り合わせは良かった。そういうのもあって、考え方がちょっと変わった。高校野球はやっぱり打たなきゃ勝てないなと思った。みんな守り、守りって言うんですけれど、それは強豪校の監督が言う話。中堅私学は守っていっては強豪には勝てない。打って焦らせないと勝てない。相手は点をとらないことは怖くない。とられると思うと焦る」

今春は初戦の2回戦で相洋に0-0からタイブレークで勝利。立花学園、横浜商、日大藤沢と3戦連続逆転勝ち。準決勝の向上、東海大相模には終盤に1点差に迫られても粘り勝った。選手に伝え続けてきた言葉が原動力にもなった。

「今年に入ってオープン戦が始まった時からずっと『野球はたとえ初回に6点、7点とられたとしても、9イニングで最後の27アウトとった時に1点でも勝っていたら勝ちだから』と言ってきた。最後がどうなのかが野球は大事ということをずっと言ってきたから、ある程度選手に余裕があった」

それでもベンチから見ても驚きの連続だった。一方でたくましさも感じた。決勝後に選手らからプレゼントされた優勝記念球は、これまでの過程が間違っていなかった証明でもあった。

「神がかっていた。あいつらすごい一生懸命でどんな試合展開でも気持ちがぶれないんですよね。あれはすごい。序盤に先制されることが多かった。あれ、きついんですよ。ずっと逆転で、ずっと1点差。でも今は逆にそれが余裕になりすぎちゃっているところもあるんですよね。9イニング勝負って言い過ぎているひずみがあって。最初、点を取られたっていいや、みたいな」

42年ぶりに優勝した達成感と同時に、周囲からの反響の大きさを感じている。

「12年のインフィールドフライ(日大藤沢との1回戦で2-2の同点から内野フライで宣告後にタイムをかけたつもりがインプレーで相手三塁走者がタッチアップ生還しサヨナラ負け)が悪いとかいうわけではなくて、当時の選手が毎日必死に練習して臨んだ夏だからこそ、あのようなことになったのだと思う。しかし、結果的にあれ以降低迷しているんですよ。『武相』と検索すると最初にそのYouTube動画などが出てきた。それも悔しかった。でも今は春の優勝や夏に向けた記事が出てくる。12年の時を経て、インフィールドが少し薄れたんですよね。これもOBとしてやりたかったこと」

一方で、選手らの心情にも大きく影響している。選手も、監督も、学校も、すべてが初の経験。第1シードで臨む夏の難しさも感じ始めている。

「選手たち、6月以降にちょっと調子が悪くなっていたんですよね。1カ月くらい集中して公式戦を戦ってきたから、そのひずみが来ているのかもしれない。ふっと気が抜けてしまうのは当たり前。その中で調子を上げていくのってすごい難しいです。でも、だんだんと兆しが見えてきました。だから2、3、4回戦くらいは我慢して接戦で勝っていくしかない。勢いがついて5回戦、準々決勝あたりで、また力を発揮できればチャンスはあると思う。2回戦は海老名、3回戦も油断出来ない相手。ここが1つのポイントだと思っています」

大会直前になり、強豪校との練習試合では調子も上向き。チームとしても個人としても結果が出始めている。1戦1戦、9イニング勝負に変わりはない。あとは豊田監督が適材適所の采配を奮うのみ。順当に勝ち上がれば決勝は横浜スタジアムで24日に行われる。

 

◆豊田圭史(とよだ・けいし)1984年(昭59)2月4日生まれ、横浜市出身。武相から富士大を経て、卒業後は一般企業で3年間勤務しながらクラブチームでプレー。現役時代は最速148キロ投手として活躍09年に富士大コーチに就任し、13年12月に監督昇格。元広島中村恭平投手、ソフトバンク山川穂高内野手、西武外崎修太内野手、佐々木健投手、佐藤龍世内野手、元西武多和田真三郎投手、オリックス小野泰己投手、楽天鈴木翔天投手、日本ハム金村尚真投手らを指導。20年8月から武相の監督に就任。今春の県大会でチームを42年ぶりの優勝へ導く。右投げ右打ち。趣味はサウナ。