野球界から去る覚悟を決めた。広島から戦力外通告を受けた今井は、トライアウトを受けなかった。球団からのスタッフとしての打診も断った。「すごく感謝しています。ただ、これをやりたいという気持ちが強かった」。東京に拠点を置き、鍼灸(しんきゅう)師を目指すことを決断。まずは専門学校に通い、資格取得を目指すことになる。

 現役に未練はなかった。「昨年1軍に上がれず、今年は後悔したくないという思いがあった。ここで必要とされなかったらユニホームを脱ごうと考えながら過ごした」。今季4試合の登板で防御率5・40。覚悟はできていた。

 05年に高校生ドラフト2巡目指名で広島に入団した。投球フォームが似ていることから「黒田2世」と呼ばれた。4年目の09年にプロ初登板と初勝利を記録するなど、順調にステップアップ。だが、行く手をケガが阻んだ。10年春季キャンプは右肘違和感で離脱。11年もオープン戦期間中に左肋間(ろっかん)筋挫傷で戦列を離れるなど、出遅れを余儀なくされた。12年にプロ初完封勝利を挙げるなど4勝を挙げながら、13年は左膝を痛めて春季キャンプを離脱。さらに右手薬指骨折で復帰が遅れた。実は今季も右肘の違和感を抱えながらプレーしていた。腕を下げスリークオーターにして何とか1軍昇格は勝ち取ったが、結果を残すことはできなかった。

 第2の人生はプロで味わってきた苦しみを癒やす立場を選んだ。「これまで治療を受けていた立場。それを生かすことを考えたときに、興味があった」。生まれ育った街でも、プロを過ごした街でもない新天地で新たな1歩を踏み出す。ケガと向き合ってきたからこそ、できることもあるはずだ。【広島担当 前原淳】