楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。明大の先輩で、寮でも相部屋だった高田繁氏がその死を悼んだ。

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 巨人時代、名古屋で1度だけ、星野の球を頭に受けたことがあった。大事をとって病院に行っただけだったけど、妻にまで「高田さんは大丈夫ですか」って電話をかけてきた。俺は死球が多い方だったし、何ともなかったんだけど、本当に心配してくれたことを、よく覚えている。

 当時は王さん、長嶋さんの全盛期。巨人戦は闘志むき出しで投げてきていた。打たれた後の打席は顔近くにくることもざら。柴田(勲)さんや土井(正三)さんは、何度もひっくり返されて、マウンドと打席で怒鳴り合ってた。それでも俺には、明大の先輩だったからか、そんな攻めは一切してこなかった。そういう一面がある男だった。

 大学4年の時は寮で1年間、同部屋生活。4年生は2年生と組むのが普通な中で、なぜか3年生でエースの星野と一緒。そんなの聞いたことがない。部屋割りは御大(故島岡吉郎氏)が決めるんだけど、あいつはよっぽどにらまれてたんだね。のさばらせたら悪いことするって。

 上級生にたてつくことは全くなかったけど、あの頃から肝っ玉は据わってた。試合前、キャプテンとエースは御大の部屋に呼ばれて、げきを飛ばされる。その緊張する場で、あいつは御大がトイレに行っている隙に押し入れを勝手に開ける。「これ、もらっていきましょう」って、カステラとか葉巻をかすめていくんだよ。俺は冷や冷やしながら見てたけど、怖い御大相手にも度胸があって。学生の時も、プロと変わらず闘争心むき出しの投球。星野と(6大学で)優勝出来なかったことは、今でも本当に残念に思う。

 そんな先輩後輩から始まって、プロ入りして、指導者になって、編成業務に携わるようになって…。球団こそ違えど、同じように野球に関わってきた。これも何かの縁なのかな。べったりではないけど、顔を合わせれば、本当にいろんな話をしてきた。今は「まさか」という言葉しか出てこない。しのぶには早すぎる。まだまだ、これからも野球界を引っ張ってもらわないといけない男だった。(DeNAゼネラルマネジャー)