今年4月、東海大浦安の監督に就任した瀬戸康彦氏(36)。千葉大会開幕を10日に控えた練習試合の相手は、神奈川の大師だった。大師の野原慎太郎監督(36)は、瀬戸監督が00年春、東海大相模でセンバツ優勝を果たしたときのチームメート。初めての夏を目前に、かつての戦友と共に勝利への強い気持ちを新たにした。

試合は、5-1で東海大浦安が勝利した。先発の高木健人投手(3年)が投打で活躍。5回を投げ3安打1失点、4回には自らのバットで右翼越え本塁打を叩き出し3点先制した。5回には相手投手失策で1点、7回にはこの日、3安打の3番・薬師寺大輝外野手(2年)の適時右越え打で5点目をあげ試合を決めた。

大師は積極的に振ってくる。それに対し、東海大浦安の投手陣は徹底した内角攻め。攻撃では、出塁すれば積極的に次の塁を狙い、チャンスを広げた。瀬戸監督は「積極的で、かつ攻撃的。それこそ、東海大相模のアグレッシブベースボールですから」と話す。野原監督もまた「勝つための執着。自分たちの野球をやりきること。それが当たり前だと思えることが、僕たちが高校時代に身につけた財産なのかもしれません」と笑った。2人の東海大相模OBが、それぞれの道で、その野球を継承していた。

瀬戸監督は大学卒業後、すぐに東海大のコーチとなった。野原監督は12年に大師に赴任し、その秋から監督に就任。指導に行き詰まると、いつも瀬戸監督に電話をしたという。

「連係プレーはどうやって教えればいい?」

「内野手はどうしたらいいの?」

長い時には、電話は1時間近くに及んだ。経済的に厳しい選手を数人抱えて悩んでいた時には、瀬戸監督は何も言わずに大学生が使わなくなったユニホーム、アンダーシャツ、グローブなどの野球用品を段ボール2つ分、送ってくれた。野原監督は「電話でのアドバイスに野球用品。僕にとって『あぁ、また頑張ろう』って思わせてくれたのが、瀬戸だったんです」と振り返る。

瀬戸監督もまた、高校時代を振り返り「野原は一番のムードメーカー。いつも明るく元気で、レギュラーとレギュラー外の選手との潤滑油になってくれた選手。だから、チームが1つになれた」とこれからのチーム作りを重ねている。

試合後、「瀬戸さんはどんな人?」という質問に、多くを語らなかった野原監督が、その後、記者にメールで本心を打ち明けてくれた。

野原監督 瀬戸はどんな人かというと、一番は「優しい」です。一番に思い出すのは、自分が投げているときにショートから親身に声をかけ続けてくれた姿です。僕を何とかしてやろうという言葉でした。結果が出ないときは寮でも励ましてくれました。野球をよく知っていて、いいアドバイスをくれました。当時は、同級生だけどコーチみたいに頼りにしていて、たまにいい投球をして試合後に褒められるとうれしかった。実績がすごいのに、優しいやつだな~と、いつも思ってました。1年夏からレギュラーで野球は別格だったのに、まったく偉ぶらず謙虚。僕らの学年がレギュラーとレギュラー外の選手の垣根がなく仲の良い学年だったのは、この学年で一番初めにレギュラーになった瀬戸の飾らない人格が作ってくれたと思っています。

センバツ優勝から19年。かつてのチームメートが高校野球の監督となり、東海大相模の野球を継承しながら「勝負の夏」に向かう。

野原 瀬戸が同じ土俵に立ったのはうれしいけど、負けたくない。いつまでもライバルでいたいです。

瀬戸 県は違うけど、これからも野原には負けたくない。

戦う県は違えど目指す場所は、甲子園ただ1つ。さあ、勝負の夏が始まる。東海大浦安と大師。どんな野球を見せてくれるのか。そして-、いつか、この対決を大舞台で見てみたい。その日が楽しみでならない。【保坂淑子】