今年野球殿堂入りした元横浜(現DeNA)日本一監督の権藤博氏(81=野球評論家)の「野球殿堂入り祝賀パーティー」が2日、都内ホテルに約200人を集めて盛大に行われた。

鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て中日に入団。61年に新人最多の35勝を挙げ、投球イニング429回1/3は今なおセ・リーグ記録だ。62年は30勝で最多勝。『権藤、権藤、雨、権藤…』と流行語が生まれるフル回転で右肘痛を発症し、実働8年で現役を退いた。あいさつに立った権藤氏はこう振り返った。

「佐賀の田舎から一旗揚げたいと思って出てきたけど、一旗だけで、後は苦しみの連続でした。わたしは選手の心の傷みがわかります。だから選手と一緒に戦う気持ちになりました。やるか、やられるか、やられたら、やり返せ。そう教えてきました」

その後、中日、近鉄、ダイエーのコーチで投手を育てた。98年は横浜監督として「マシンガン打線」を率い、抑えの大魔神佐々木を中心に、38年ぶりのリーグ優勝、日本一を達成。ストッパーの重要性を説きながら「分業制」を確立した。

現役時代に「つぶれて本望」といった男は、その心情を胸に秘めながら、指導者として投手育成に尽力した。権藤氏の次女・嘉江子(かえこ)さんは「究極のエエかっこしいですが、とにかくブレない。尊敬する父です」と語った。

この日が81歳の誕生日。ハッピーバースデーの合唱で祝われた権藤氏は「友達が財産です」と感謝した。そして「どのチームでも、監督、コーチのオファーがあればやりますから」と生涯現役宣言で締めくくった。【寺尾博和】

◆権藤博(ごんどう・ひろし)1938年(昭13)12月2日生まれ、佐賀県出身。鳥栖-ブリヂストンタイヤを経て61年中日入団。1年目に35勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、新人王、沢村賞を獲得。引退後は多くの球団でコーチを務め、近鉄時代の89年には阿波野、吉井らの投手陣をまとめ優勝に貢献。98年に横浜の監督に就任し、ローズ、駒田らマシンガン打線と抑えの佐々木らを擁して日本一に導いた。今年1月野球殿堂入り。

▽元中日監督・山田久志氏(日刊スポーツ評論家) 我々にとっては伝説の投手です。「コーチ業」という点ではいろいろありますが、特に指導者として、権藤さんのような投手陣の束ね方もあるんだなと、参考になったことがあります。

▽DeNA三浦大輔2軍監督 ピッチャーとは何か、こうやってマウンドに上がるんだというのを教えていただいた。やるかやられるか、やられたらやり返せという攻めの姿勢が投手にとってどれだけ大事か。僕も2軍の監督として権藤さんの教えを後輩たちに伝えていきたい。

<主な出席者>

【発起人代表】日本野球機構会長斉藤惇コミッショナー【発起人】中日ドラゴンズ矢野博也代表取締役社長、横浜DeNAベイスターズ岡村信悟代表取締役社長、東海テレビ放送小島浩資代表取締役社長、東海ラジオ放送小畑耕一代表取締役社長、日刊スポーツ新聞西日本橘尚雄代表取締役社長

【主な出席者】▽野球界 原辰徳、小久保裕紀、緒方孝市、小川淳司、山田久志、東尾修、山下大輔、佐々木主浩、谷繁元信、阿波野秀幸、三浦大輔 山本昌広、川上憲伸、岩瀬仁紀、福留孝介、菅野智之、坂本勇人▽その他 松山千春、前田亘輝、倉本昌弘(順不同、敬称略)