〝ドライチ〟――。その年のドラフト会議でわずか12人の選ばれた選手たち。多くの期待、重圧がかかる立場で、常に肩書を背負いながら、生きていく。

日南学園(宮崎)から、08年ドラフト1位で西武に指名された中崎雄太氏(31)もその1人だった。現在はエイジェックの「NPB養成専門アカデミー」で選手を指導。もがき、苦しんだ当時を振り返りながら、〝ドライチ〟の今に迫った。(敬称略)【久保賢吾】(2回目以降の連載は無料会員登録で読むことができます)

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グラウンドに入った瞬間、捕球音、打球音が同時に響く。各選手が自身のメニューに沿って、打撃、守備、走塁、ピッチングなどで汗を流す。中崎氏は自らの苦い経験をもとに、ある思いを抱きながら選手を指導する。

「後悔だけはしないでほしい」

16年に西武から戦力外通告を受け、17年はBC栃木に投手兼任コーチで1年間所属。社会人野球のエイジェックで投手兼任コーチ、投手コーチを経て、今年からエイジェックの「NPB養成専門アカデミー」で講師を務める。

「結果が全ての世界。1人でも多くの選手が次のステップに進めるようにサポートしたいなと。僕自身も指導者として、成長できるように上を目指してやっています」

同アカデミーは今年から新設され、17歳から25歳までの7選手が所属。技術指導を中崎氏、トレーニング論や栄養学など座学指導を元巨人の星野真澄氏が務め、NPBを最大の目標に、独立リーグや海外リーグでのプレーを目指す。

「自分だけの考えで指導したり、押しつけたりしないように意識しています。選手と話し合って、方向性を決めてからメニューを組んだり、いろんな引き出しを持てるようにというのは思っています」

指導法には、自身の〝失敗〟が根底にある。日南学園から、08年ドラフト1位で西武に入団した。2位には通算58勝を挙げ、今季限りで引退した前巨人の野上亮磨、3位は東京五輪代表の楽天浅村栄斗。主力へ成長した2人よりも評価され、プロへの扉を開いた。

2年後の10年ドラフトでは、弟の翔太が広島から6位指名され、兄弟でのプロ入りの夢を実現。野球ファンから注目を浴びたが、プロ通算8年間、15試合の登板で球界を去った。

「今になって、もっとこうしておけば良かったなとか、指導者になって、客観的に見ることで感じることもすごくあります。僕と同じようにはならないようにという思いはあります」

西武時代、首脳陣は期待のドラフト1位左腕の開花に向け、親身な指導、助言を送ってくれた。16年には「カメラの画面から消える」と話題に挙がったサイドスロー転向で生き残りをかけたが、来季の契約に至るまでの結果は残せず、非情な通告を受けた。

「監督やコーチには感謝の気持ちしかないです。いろんな選手を見てこられた中で、たくさんの助言をいただきましたし、最善を尽くしてくださった中で結果を出せなかった自分が悪いです」

12球団合同トライアウトを受け、NPBでの現役続行を目指したが、オファーはなかった。次なるステップに進むにあたって、重きを置いたのは自身に向き合ってくれた指導者への恩返しだった。

「西武に在籍した8年間で監督、コーチから本当にいろんな引き出しを教えてもらった。技術面、精神的、あらゆる面で学んだことを伝えていけたらいいなと思ったんです」。

指導者へと転身し、さまざまな経験を重ねる中で、なぜ、選手たちに「後悔だけはしないでほしい」と願うのか。「理由はシンプルです」と言った後、言葉を続けた。

「僕自身、一番それを感じた人間なので、その思いが強いんです」。

ユニホームを脱いだ今でも心に残るのは、現役時代の後悔だった。(連載2につづく)

【連載2 聞き流したアドバイス 元西武中崎の後悔/ドライチの今 続きは会員登録(無料)で読むことができます】>>

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【連載4 弟・広島翔太への思い 続きは会員登録(無料)で読むことができます】>>