【復刻版:2003年11月4日の日刊スポーツから】

 衝撃が球界を走った。4年ぶりの日本一に輝いたダイエーは3日、今季右ひざ重傷でシーズンを棒に振った小久保裕紀内野手(32)の巨人への「無償トレード」を発表した。かねて新天地でのプレーを希望していた意向を受けた球団が、巨人とのトレードを成立させた。球団売却問題が取りざたされる中での、入団以来ダイエーを支え続けたスラッガーの「放出」。誰も予想しない形で「巨人小久保」が誕生した。電撃的な無償トレードに、ダイエー王貞治監督(63)は、保有権の放棄は「チームの崩壊にもつながりかねない」と語った。

 前代未聞の「無償トレード」が成立した。福岡ドーム内で午前10時過ぎに始まった記者会見。中内正オーナー(44)が涙ながらに発表した。「小久保裕紀くんを巨人さんにトレードするということを発表させて頂くことになりました」。02年まで選手会長を3年間務め、文字通り「看板選手」だった小久保の“放出”を発表した。さらに、同オーナーは「できるだけ小久保くんの有利な条件でということで、金銭ではなく、無償で行ってもらいます」。ダイエー側が何も代償を要求しない異例の形での電撃トレードだった。

 小久保の意思が発端だった。数々の要因が重なり、小久保に福岡を離れる決断をさせた。昨オフの契約交渉の席で、中内オーナーに大リーグ挑戦の夢を打ち明けた。今年3月に右ひざ重傷で戦線離脱。リハビリのため渡米すると、胸中で夢が膨らんできた。ポスティングシステム(入札制度)を活用してのメジャー移籍も考えた。今年は故障もありメジャーの道はあきらめたが、球団を出る決意は変わらなかった。「選手会長をやり、僕自身聞かなくていいことも耳に入ってきた。球団との交渉もありました。そういうことをまったく抜きにして(成績が)よければ誉めてもらい、悪ければ年俸に跳ね返る、純粋なところで(野球が)やりたかった」。これまで、常に球団には身売り問題がつきまとっていた。交渉を重ねるうち、将来の不安も芽生えていたのかもしれない。今年、右ひざ手術やリハビリのために渡米したが、球団が勧めた国内の病院ではなかったため、すべて自費だった。これまでの球団フロントへの小さな不信感が積み重なり、新たな環境を求める気持ちへと向かったのだろう。

 事態が動いたのは、福岡市内のホテルでオーナー会議が開かれた10月31日の夜。中内オーナーが巨人渡辺オーナーに、た小久保の処遇について相談を持ちかけた。小久保の今季年俸は2億1000万円(推定)。その高額年俸を保証できるのは巨人しかなかった。93年には小久保の獲得合戦を繰り広げた両球団。渡辺オーナーは小久保獲得を即決した。「我々(球団)に出してくれる金額を、その分(小久保に)つけてほしい」(中内オーナー)。青学大の後輩にあたる小久保の無償トレードでの放出は苦渋の選択だった。

 入団2年目の95年。就任したばかりの王監督から「4番」に抜てきされ本塁打王を獲得。97年には打点王に輝いた。「ここまで僕を育ててくれたオーナー、監督、裏方さん、チームメートに感謝しています。10年間やれたのは幸せだった」。戦いの場はセ・リーグに移る。「決まった以上はヒザの故障はあるが、しっかりした野球をやる決意はあります」。今季4年ぶりに日本一となった王ダイエーを支え続けたスラッガーが、衝撃的な形で福岡を去る。