レッドソックス上原だって、ヤンキース黒田だって高校時代は控え投手だった。ドラフト1位競合が確実なJR東日本・吉田一将投手(24=日大)は、青森山田高では3番手投手で日大時代も目立った成績はなかった。無名の学生時代から、不動の1位候補に成り上がった異色の右腕だ。

 運命の日を前に、吉田は緊張をみじんも感じさせない、泰然自若の様子だった。22日、千葉・柏市内のJR東日本グラウンドのブルペンで37球を投げ込んだ。直球、スライダー、チェンジアップなどの感触を確かめた。阪神平塚スカウト、日本ハム川名スカウト、中日佐藤スカウトから熱視線を送られたが「実感がわかないですね。当日にならないと分からないです」と人ごとのようだった。

 191センチから角度のついた球と、ぶれない制球力が真骨頂。社会人入り後、スリークオーターからよりリーチを生かした上手投げに変えた。球速は149キロをマークし、大学時代から3キロ更新。直球にカーブ、ツーシーム、チェンジアップ、フォークなどを織り交ぜ、精密機械のごとく低めの制球で勝負する。「自分は三振より、とにかく勝つ投球を目指している」と話す。

 今夏の都市対抗野球準々決勝(日本製紙石巻戦)では8回1死までパーフェクト。決勝を含めて3試合に先発し、計19回を投げて6安打1失点で2年連続の準優勝に貢献した。巨人柏田スカウトは「抜けた球を1回もみたことがない。絶対的な低めの制球力がある」と高評価する。今月の東アジア競技大会では台湾との準決勝に先発し、6回3安打無失点に抑えて金メダルの立役者となった。

 吉田は「よくなってきたのは本当に社会人からです」と自覚する。青森山田での公式戦登板は3年間で10イニング以下。2年夏、3年夏と甲子園に出場したが登板機会はなかった。雪の中での過度の練習など度重なるけがも抱えた。「空回りっていうか、本当に野球をしていた感じがしない」と振り返る。日大では4年春まで2部暮らしだった。

 そこからドラフトの目玉に成長。プロではレッドソックス上原が東海大仰星高時代に建山(現ヤンキース3A)の控えで、ヤンキース黒田も上宮高では2番手投手だった。広島苑田スカウト統括部長は「昔は高校で控えの投手は活躍しないと思うのが普通。だけど、うちにいた黒田もそうだったけど、急に良くなるやつがいるというのを、吉田には感じる」と話す。

 常に日の目を浴びてきたわけでない。だが、「プロを意識したのは小学5年のときからです。その思いは変わることありません」。毎年、ノートに年間目標を記す。今年は自信を持って「ドラフト1位でプロに入団する」と掲げた。見慣れた文字が憧れから現実となる日は、もうすぐだ。【栗田尚樹】<吉田一将(よしだ・かずまさ)アラカルト>

 ▼生まれ

 1989年(平元)9月24日奈良県橿原市生まれ

 ▼球歴

 小学4年から五条ドラゴンズで捕手、外野手として野球を始める。小学5年で香芝ボーイズに移り、投手となる。中学も所属。同チームには広島小窪も所属していた。中学3年時から青森山田に転校し、高校も青森山田。甲子園には2年夏、3年夏に出場。ベンチ入りするが、登板はなかった

 ▼大学

 日大4年春に2部最優秀投手賞を受賞。2部では通算8勝5敗。1部に昇格した4年秋は12試合に登板し、3勝を挙げ、チームの1部残留に貢献した

 ▼社会人

 1年目で敢闘賞にあたる久慈賞と新人賞にあたる若獅子賞のダブル受賞。2年連続の都市対抗野球準優勝の立役者

 ▼視力

 大学3年冬に両目のレーシック手術を受けて回復。右は0・06から1・5、左0・03は1・2になった

 ▼サイズ

 191センチ、90キロ。足のサイズ28センチ

 ▼胸囲、尻周り

 107センチ

 ▼握力

 左右とも45キロ

 ▼血液型

 A

 ▼球種

 直球は最速148キロ、スライダー、ツーシーム、カーブ、チェンジアップ

 ▼家族

 父潜さん(66)母清美さん(56)姉宏美さん(28)

 ▼理想のタイプ

 女優の香里奈と真木よう子

 ▼趣味

 仏像や寺など、歴史的なものを見てまわる

 ▼愛読書

 「武士道」(新渡戸稲造著)