先日、ボクシング元東洋太平洋ライト級王者の中谷正義選手(32=帝拳)に練習を見ていただきました。

「アビさん、もっとサッカーをしているようにパンチやキックを出してみてください!」

中谷選手の第一声に僕はハッとさせられました。彼は、僕の身体のケアを担当してくれている元プロボクサーで、現在は“ストレッチマジシャン”とも呼ばれる後藤俊光トレーナーが紹介してくれました。後藤さんが中谷選手のケアも担当しているご縁で、「1度練習を見てもらい、アドバイスがほしい」という何ともわがままな僕の思いに応えてくれたのです。

そして、その日は突然やってきました。後藤さんから「中谷さんOK出ました」といつもの調子で連絡をもらって1週間後。僕がほぼ毎日トレーニングをしてもらっている元K-1ファイター、小比類巻貴之さんの道場に来てくれることになりました。

そこで「初めまして」とあいさつを交わし、すぐに練習へ。試合と同じようなまなざしで見つめている中谷選手をガッツリ気にしながら、いつも通りシャドーボクシングとミット打ちをしました。その都度、中谷選手は僕にアドバイスをくれました。それはどれもパンチに対するスキル戦術のアドバイスではありませんでした。彼は僕のシャドーやミット打ちがとても窮屈に見えたようです。必死に学ぼうとする姿勢を褒められつつ、あり余っている時間を使うわけではない僕に対して「『生きた経験』を生かさない手はないですよ」と伝えてくれたのです。

それが冒頭の「サッカーをしているようにパンチやキックを出してみてください」というアドバイスなわけです。格闘技未経験者だった僕にとっては、今までやっていなかったような動きを日々、習得していかなければなりません。だからこそやるべきことはひとつ。最も自然に身体が動くものを取り入れていくのです。それが中谷選手が伝えたかった真意だと思っています。

中谷選手は僕にこんなことも言ってくれました。

「パンチが当たらないと思って120%相手を倒すつもりでパンチを出していますか?」

ものすごく奥の深い言葉だなと思ったと同時に、本質をズバッとシンプルに伝えられる彼の語彙(ごい)力にも感心したのを覚えています。相手にパンチをよけられる可能性がすごく高いボクシングにおいて、当たらない前提を作ることが大事だということ。そしてその前提の中で120%で相手を倒せるパンチを打っているかという何とも押し問答のような問いかけでした。

どれだけナチュラルにパンチやキックを出せるか。今からパンチしますよ、キックしますよでは全く意味がない。その逆もまた然りで、いつ打つかわからないけど、当たっても何のダメージもなければ打つ意味すら存在しなくなる。どんな時でも当たったら相手を倒せるつもりでシャドーをすることに意味があるということを伝えたかったのだと思います。

そして僕が最も心に響いたのは、こんな言葉でした。

「アビさんの経験や生き方は誰にもまねできない。むしろそれに影響を受けて動きだしている人たちが大勢いる。その全てに経験を生かさない手はないですよ」。そう言ってくれました。実は中谷選手は僕のことを以前から知っていてくれたようです。僕が39歳で仕事を全部辞めてJリーガーを目指し始めた時からテレビや記事で見てくれていたようで「勇気をもらったんですよ」と話してくれました。僕は素直にうれしかったですし、自分の挑戦がどこかで誰かの勇気になってたんだなと思えました。

中谷選手が僕に伝えてくれたことは世界中の全員に同じことが言えるのではないかと思います。何事も挑戦することは大事です。ただ、それを人から学ぶだけではダメだということです。そこに自分が今まで培ってきた人生経験を乗せて、そして自らの体験をもっと前面に出した上でその挑戦を全うすることが大事なのだと思います。

僕らはどうしても「何かを教えてもらう」という姿勢が備わっています。決して悪いことではないのですが、挑戦者に必要なのはルールの中で最適で最速の答えを出すことではなく、自分のルールを作って自分なりの答えを出しながらそれを証明していくことなんです。

「何事にも始めるのに遅いことはない」

僕は常にそう思っています。だからこそ、人に教えてもらうのではなく、自分教育が必要なのです。誰もが自分だけにしかできない体験をしています。その体験を他人と比べず、自分の中で言語化して、その上で自分がなぜ?どうして?それができたのか、どれができなかったのかを追求するのです。自分の生きた経験の上にしか真の実力は存在しません。挑戦する人に必要なマインドは「自分の人生を侮るな」だと思います。自分の人生経験こそオンリーワンで、その経験が他者を上回る最高の武器になるということです。

僕は中谷選手から改めて挑戦者に必要なマインドを学びました。彼は6月26日(日本時間27日)に米ロサンゼルスで行う元3団体統一ライト級王者ワシル・ロマチェンコ選手(ウクライナ)との試合を控えています。調整などで忙しい中、僕に時間を割いてくれたのです。彼の勝利を願うのはもちろんですが、それ以上にリングで戦う姿から感じ取れる生きざまを見ることを何よりも楽しみにしています。


◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設。21年4月に格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビュー。175センチ、74キロ。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)