不正判定などの疑惑に大揺れの日本ボクシング連盟の山根明会長(78)が3日、日刊スポーツの電話取材に応じた。

 山根会長はどのような経歴をたどり、アマチュアボクシング界の「ドン」となったのか。電話取材ではその経歴についても明かした。ボクシング歴については「あります」。父親が大阪・堺市のプロのジムのオーナーで「15、16歳から」競技を始めたという。試合の経験はない。

 関大ボクシング部の清水義彦氏(故人)を師と仰ぎ、「アマチュアの勉強長年していただきました」。同行して関西の大学でも指導をしていたという。その後、別の大学で技術コーチを務めていた30代の時に、国体と全日本選手権を控えた奈良県連盟の選手強化と組織の立て直しをお願いしたいとの申し出があり、受託したのがアマチュアボクシング連盟との関わりの発端だったという。その後は日本代表監督を長年務め、幹部として出世していった。

 職業については、奈良県連所属前は「香港にスーパーがありまして、そこの重役という形で籍を置いとって」と説明した。連盟に入るに当たり、日本で職業を持つ必要性を周囲に言われ、退社。以降は喫茶店経営などをしてきたとした。

 アマチュアボクシングへの「愛」も語った。「僕はね、約67回海外遠征してるんです。犠牲が大きかったんです」と切り出すと、最初の離婚理由について、喫茶店から金銭を持ち出して遠征費に充てていたことを挙げ「ボクシングをやめてくれと」「海外遠征から帰ってきたら行方不明になっていた」と明かした。

 金も時間もかけ、犠牲も払い競技に向き合ってきたことを強調し「俺からボクシングを取ったら生きる道がない。アマチュアボクシングに人生をかけてますから」と述べた。