挑戦者のWBO世界ミニマム級1位谷口将隆(27=ワタナベ)が2度目の世界挑戦で念願の王座奪取に成功した。

同級王者ウィルフレド・メンデス(25=プエルトリコ)に挑み、11回1分8秒TKO勝ち。19年2月、当時のWBO同級王者ビック・サルダール(フィリピン)に判定負けして以来、2年10カ月ぶりの世界戦でWBOベルトを手にした。所属のワタナベジムでは内山高志、河野公平、田口良一、京口紘人に続く、5人目の世界王者誕生となった。

「夢じゃないかな…と思っています。挑戦者らしく、格好良くなくてもいいので、勝つためだけに戦いました。今日は井上尚弥くんのおまけで見に来てくださったと思う。『来年は谷口でも見に行こうか』と思ってもらえるボクサーになりたい」

我慢を強いられた中盤、主導権を握ったのは谷口だった。2回に左フックでダウンを奪うと、中盤は互いにボディーの打ち合いとなった。9回、メンデスのボディーに左を打ち込むと、一瞬、顔をしかめるのが見えた。ラウンド終わりに右手を掲げると、仕留めたのは11回。打ち降ろしにひるんだ相手を、連打で一気に仕留めた。

待ちわびた世界戦だった。「簡単にはいかないですが、2年前と違うところ、必ず勝つところをみせたい」。前回の世界挑戦で敗れた後の歳月は「長いと感じなかった」と振り返りつつ「内容は後からついてきてくれれば。何が何でも勝ちたい」と勝利最優先の姿勢で挑んだ。当時、サルダールに敗退した後に「まだ世界王者になる人間ではなかった」と完敗を認めたが、今回は違った。「1歩1歩、着実に上がっている実感はある。今は世界王者になれる実感がある」。

同学年で同門、同時期にプロ転向したWBA世界ライトフライ級スーパー王者京口紘人の存在は大きな刺激だった。スピード出世で無敗のまま世界2階級制覇王者になった京口に対し、谷口は日本、地域王座戦に次々と敗れるなど3敗を喫した。「(京口が)ずっと、いまだにライバルだと呼んでくれている。世界王者という彼と同じ舞台までいきたい」と闘志を燃やしていた。

ミニマム級では身長が高い165センチのサウスポーの技巧派王者を倒した意味は大きい。「最後は挑戦者らしく気持ちでいきたいと思う」。ターニングポイントとなるプロ18戦目で到達した世界王座の喜びは格別だった。

盟友として切磋琢磨(せっさたくま)してきた京口の背中に追いつき、世界王者となった谷口が22年、新たなステージを迎えることになる。

 

★谷口将隆(たにぐち・まさたか)

◆6人きょうだい 1994年(平6)1月19日、神戸市生まれ。6人きょうだいの4番目で、姉が3人、弟が2人。

◆出会い 小3で始めた野球は補欠だった。小6で取り組んだ極真空手では、女子に蹴られて鼻血を出した。中2の時、友人に誘われ、地元のフィットネスジムでボクシングを始める。友人はすぐやめたが、谷口は先生が怖くて続けた。

◆準V止まり 神戸第一高ではインターハイでベスト8。龍谷大では主将を務めたが、国体では1、3年と準優勝。全日本選手権も3位が2度と1度も優勝できなかった。アマ戦績は55勝(16KO)19敗。

◆宿敵と入門 大学時代に現WBA世界ライトフライ級スーパー王者京口紘人とは2勝4敗。最後の対戦でも負けたが、接戦を演じた。京口を勧誘にきていた井上孝志トレーナー(現真正ジムトレーナー)に声を掛けられ、一緒にワタナベジムに入門した。

◆僅差2敗 16年4月に1回KOでプロデビュー。17年4月に7戦目で日本ミニマム級王座決定戦に臨んだが、0-2で判定負け。3戦後の11月の東洋太平洋同級王座決定戦も、0-2で判定負け。

◆ブランク 18年4月のスパーリング中に右手首関節を脱臼。手術によるブランクの間も、走り込んで課題のスタミナをつけた。スパー再開は10月からだったが、右だけで練習してパンチ力もアップした。

◆スタイル 162センチの左ボクサーファイター。

 

◆日本ジムの世界王者輩出メモ 谷口がWBO世界ミニマム級王座を獲得し、所属先のワタナベジムでは5人目の世界王者となった。内山高志、河野公平、田口良一、京口紘人に続く世界王者誕生で、男子世界王者を輩出した日本ジムではヨネクラジムと並んで3位となった。なお1位は協栄ジムの13人、2位は帝拳ジムの12人となっている。