大相撲中継で人気の藤井康生アナウンサー(65)が1月31日付でNHKを退局し、2月1日からフリーになった。インタビューの第2回は、NHK入局後に大相撲実況を担当するまでと、実況へのこだわりについて。藤井アナの実況には、大相撲への愛が込められていた。【取材・構成=佐々木一郎】

藤井アナインタビュー1 北の富士勝昭氏から話を聞き出すコツは?

-NHKに入局された時から大相撲の実況をやりたかったのですか

やっぱりNHKに入ったんですから、好きだった大相撲の放送をやりたいという思いは最初からありました。

-相撲の実況は目指していけば担当できるものですか

NHKの場合は今もそうですけど、当時もローカル放送局から転勤していくんですが、どこかで甲子園の放送に出張で呼ばれるというのがまず第1段階。ここが登竜門で、そこである程度、「ああこいついけるんじゃないの」と認めてもらえれば、もう1、2回、甲子園で放送する機会があって、そこからプロ野球を中心にやりましょうか、大相撲を中心にしましょうか、サッカーを中心にしますかというところで、3本柱のどれかに振り分けられていくんです。

僕自身も(赴任した)2局目の京都の1年目くらいに甲子園に呼んでもらって、そこで放送しました。同時に京都の3年間いた中で、大相撲にも呼んでもらってるんです。そこから大阪に転勤した時に、お前は相撲をこれからもやっていくのか、それともプロ野球の方にも興味があるのか、どうなんだと聞かれたときに、両方とも興味があるから、大相撲の上司の前では「やっぱり大相撲をやりたいですよ」、プロ野球の上司の前では「やっぱり野球ですよ」と調子の良いことを言いながら、大相撲が中心になっていきました。プロ野球は藤井寺球場での近鉄対日本ハムを1試合だけ、テレビの放送をやっています。プロ野球をテレビの放送でやった大相撲アナウンサーって、歴史上ほかにいないんですよ。大相撲へ入るとプロ野球ってなかなかできないんです。

-藤井さんは高校野球で呼ばれて、そこからチャンスを実力でつかみ取った末の大相撲だったわけですね

実力かどうかはわからないんですけど、そこで試験を受けているんですね。そこを乗り越えないと、スポーツの一員と認めてもらえないんです。

-大相撲の実況は、難しい部類のスポーツ実況ではないかと思っています。大相撲実況をうまくやるために努力されたことや心がけたことはありますか

大変申し訳ないのですけど大した努力をしてなくて。やっぱり好きだったんでしょうね。決まり手は、一からちゃんと覚えなきゃということもなかった。今、大相撲の放送に携わっている後輩たちがたくさんいますけど、みんながみんなそうではないですね。半数以上はいきなり大相撲をやらないかと言われてやり始めて、そういう彼らにとってみると決まり手一つ覚えるのも大変です。これは本当の努力が必要だと思うんですけど、その部分があまり必要なかったという点では、ひょっとしたらスタートが楽だったかもしれませんね。ただそれだけに負けられないという気持ちはありました。

-藤井さんの実況には特長があります。例えば、観客が手拍子とともにしこ名をコールした時、藤井さんは相応しくないと実況する。アナウンサーとしては難しい仕事ではないですか

確かにこれ以上言うと角が立つなとか、これ以上言っちゃダメだろうなということは、よくあります。大昔から続いている大相撲の観戦の仕方とお客様のマナーはさまざまあって、自分自身が子供のころから見ていた大相撲の世界とは、あるいは観客席の風景が、ちょっと変わってきていると思うことがあります。手拍子にしてもそうなんです。だからそういう時に、ちょっとこういうところが違うんですよということを放送中に少し言いたくなってしまうんです。本来の姿はそうじゃないですよと分かって欲しいんですね。

例えばお客さんのマナーもそうだし、力士自体が知らないことも結構あります。お相撲さんが土俵下で2人ずつ控えに座りますよね。あの人たちが物言いをつけても良いのは知っていますか。5人の勝負審判プラス2人ずつの東西のお相撲さんが、「今の違います」と言って物言いをつけてもいいんです。

それから例えば、塩をまいて1回目の仕切りでパッと立ってもいいとか。時間いっぱいまでわざわざ何回も繰り返して塩をまかなくてもいい。そういうところさえも知らないお相撲さんがいる。いろいろやっていって欲しいなという気持ちがあればこそ、ついつい放送で言ってしまうんですよね。

-白鵬-嘉風戦で、白鵬が判定に納得できず土俵下で立ち尽くした場面でも、藤井さんは指摘しました。この一番は覚えていますか

もちろん覚えています。歴史上ないことですもんね。これほど1分ぐらい手を挙げたまま土俵にも戻らなかったというのは、大相撲の歴史で知っている範囲では見たことがないですから。

-アナウンサーという立場でその是非を指摘するにはしっかりした判断基準がないと言えません。ここが藤井さんならではのプロフェッショナルかと思います

他のアナウンサーが放送席にいたとしても、それに近いようなことを、あるいはこれ以上のことも言ったと思いますよ。言わないとダメな場面ですよ。これは白鵬を傷つけるとかそういうことと違って、大相撲はこういうものではないんだよということ。しかもやっぱり本当の大横綱です。当時としても何十回も優勝している横綱がやってはいけない姿ですよね。

-その後の反響はありましたか

はがきなどは放送が終わった後にいただきます。その時は「よくぞ言ってくれた」というのは何通かいただきました。あの時は否定的な意見はなかったです。普段は結構あるんですよ。あの時、藤井はこういうふうに言ったけれども、それは間違っていると思うとか。そういうのはかなりありましたね。

-ラジオの実況で意識されたことはありますか

テレビカメラの代わりにこの目で見てそれを言葉にする、というのがラジオの放送だと思います。相撲を取っている間はその両者の動きを実況します。実況して「寄り切り、●●の勝ち」って言った時に、テレビだと勝った力士の勝ち名乗りを受ける姿や、懸賞を手刀を切って受け取る姿、土俵下に負けた方が下りていく姿、それがテレビでは順番に切り替えられて映っていく。それと同じようにラジオのアナウンサーはコメントすべきだと思うんです。一番今、欲しい映像を言葉にする。

我々よりも先輩のアナウンサーは「寄り切り、●●の勝ち」って言ったら、もう1度立ち合いから「白鵬、左の前まわしをとって右を差して、かいなを返してその後左から1度上手投げを打って…」と振り返るわけです。若い人たちに指導する時には、(取組を)振り返る前に「勝ち名乗りを受けて土俵下に下がりました。さがりを抜いて次の力士に水をつけるために、今ひしゃくを手にしました」とか、そこまで実況しようと。それから今の立ち合いを振り返ります。その方がラジオだから、聞いている人が映像として浮かんでくるような描写をして、それが実況というものではないかなという話をします。昔の先輩たちはそうじゃなかったんですよね。振り返るのも必要なんですけど、振り返る前にまだ動きを追うべきじゃないかなと思って。

それプラス、テレビもそうなんですけど「右四つになりました。寄った、寄った、寄り切り」ではなくて、何が右四つで重要なのかというところで、「これで白鵬十分」という一言を入れます。「白鵬、右四つになりました。これで白鵬十分の形です。完璧な形になりました」と言うだけで、今日も白鵬勝ちかって思いながら聞いてもらえる。だから動いているものだけではなくて、そこに自分なりの見解であったり、判断であったり、あるいは「石浦、左を差しました。低い体勢になりました」と言ったのはいいけど、そこから「さあここから切り返しがあるか。あるいは下手投げもあります」とか「内掛けもあります」とか、そういう次を読んで放送するのが実況というものではないかと。

目の前に映るものは1、2年、本気で勉強すれば追えます。我々だって最初は素人です。学校を卒業してNHKに入って、1年、2年、ボソボソ言いながら現場に行って練習をします。テレビで相撲の放送を見ながら、スタジオの中で声を出して練習できるわけです。そういう練習をすれば誰でも追うことはできるんです。そこから先に必要なのは、相撲のアナウンサーとしてプロだったら、自分なりの見解、読み、判断を入れます。突っ張った、突っ張ったとか、押した、寄ったというのは誰でも言えます。

昔のアナウンサーはそうでした。「突っ張った」と言うのだったら、「腕が良く伸びている」とか「足がピタッと土俵についている」とか、ほかのコメントをすればいい。先輩たちの放送に批判的な耳を持ちながら生きてきたんだと思うんです。何か自分なりの新しい方向へ、自分の放送というものを持っていこうと、きっと考えてきたんだと思うんです。

-これはアナウンス技術の進化ではありませんか

どうでしょうか。昔のラジオ時代からテレビに切り替わったころの北出清五郎さんや杉山邦博さんの時代は、歴史を知っていたり、相撲への造詣の深さで言えば、昔の人たちの方が平均して深いものは持っていたんでしょうね。ただ、アナウンスの技術とすれば、今のアナウンサーも決して負けていないと思います。技術は高いと思いますよ。

-藤井さんはラジオ実況で、行司の装束の色を巧みに表現されます。これはどういう狙いがあったのでしょうか

大相撲にはやっぱり色、華やかさがありますよね。その中でも行司の装束は、他のスポーツにはない、野球のユニホームとは違う昔ながらの色合いとか、色の深さが常にあります。「真っ赤な装束」と言ってもいいんです。「緑の装束」と言ってもいいんです。それをわざと古くさい、日本の和名の色で表現した方がそれらしく聞こえるんじゃないか。(木村)晃之助さんの赤い装束は「猩々緋色(しょうじょうひいろ)」と言うんですけれども、それだけではどんな色か分からない。「晃之助、猩々緋色の装束」と言っておいて、「真っ赤な赤い装束です」と一言加えれば、ああそういう色なんだと(分かってもらえる)。行司装束は高価なものであり、普通の赤色、黄色、水色とかでは収まらないような色なんですよね。「色見本」というのがあるんですけど、今はスマホにも入っているんですよ。検索すると出てきて、100、200種類の色がざーっと出てきます。実際に行司さんの装束を見ながら、当てはめて合わせます。「洒落柿色(しゃれがきいろ)の装束」とかね。たいして難しいことをやっているわけではないんですよ。前もって調べ始めると、伊之助さんとか玉治郎さんとか三役格以上の人たちになると、(装束を)何種類も持っていらして、見たことのない装束だなとか、勉強する方も大変なんですよ。

-行司さんから取材されているのかと思っていました

おそらく行司さんはそんな色の言い方は知らないと思いますよ。この前、玉治郎さんだったかな「藤井さん今場所で最後だったみたいですね。お疲れさまですね」って言われて「藤井さん、あの装束の紹介していただいて本当にありがとうございます」と言われました。「間違ってないですかね」って話をしたら、「私も全然色については分からないですから」って言っていました。

※第3回は13日に公開します。

◆藤井康生(ふじい・やすお)1957年(昭32)1月7日、岡山県生まれ。中大法学部卒業後の1979年4月にNHK入局。大相撲は1984年名古屋場所から担当し、横綱貴乃花の最後の優勝を決めた一番などを実況した。競馬、水泳、大リーグなども担当し、中継担当した競技は30種。60歳定年後の再雇用期間を終えて、2022年1月31日にNHKを退局した。