「大の里 令和の大横綱へ」の第3回は、大の里(24=二所ノ関)と故郷石川県との深いつながりに迫る。昨年元日に最大震度7を記録した能登半島地震の影響が色濃く残る中、今年3月には同県珠洲市と輪島市を極秘訪問した。案内役を務めた関係者の話も交えてたどる。

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野放し状態の倒壊家屋、ひび割れて陥没した道路…。愛する故郷を悩ます傷の深さを実感した。大阪場所後の3月28日、大の里は石川・珠洲市と輪島市を極秘訪問した。案内役を務めた地元ボランティア団体「チームこのへん」代表の那谷忠之さん(52)の運転で金沢から奥能登地域に入り、変わり果てた街の様子に目を奪われた。

2場所連続優勝を決めた今場所後には自ら話題を切り出し「(能登半島地震関連の)報道が少なくて。実際に足を運んで見ると、以前と景色が違ったところがありました」「(慰問先で)小さい子から、ご年配の方までたくさん来てくれて。『能登のことを忘れないで』という言葉が胸に響きました」と述べた。

訪問のきっかけは2月の大関昇進パーティーだ。祝賀会に出席した金沢市の建築会社「家元」代表取締役の羽田和政さん(48)と那谷さんから「奥能登に来ませんか」と呼びかけに賛同した。

メディアにも事前告知はなし。慰問先への告知は前日だったが、会場では200~300人の住民から歓待を受けた。「石川の誇りだ」「私たちの希望だ」と鳴りやまないエールを受け、大の里も「横綱になります」と力強く宣言した。サイン、握手、そして赤ちゃんを抱っこと時間の許す限り精いっぱい応えた。

案内役を務めた那谷さんは「(大の里は)車中では女性のタイプやお給料が上がって管理が大変だとか、ざっくばらんな話もしました。ただ震災被害が色濃く残る現場に着くと、すごくショックを受けた様子でした」と回想。ボランティアが激減するなど風化の一途をたどる状況に「しばらく黙って、深く考え込んでいました」と振り返る。自分に何ができるのかー。そんな思いが、横綱昇進を確実にした優勝後に漏れたのだろうと推測する。

那谷さんは地元民の言葉を代弁して「大の里関の土俵で活躍する姿を通して、多くの人たちが能登を忘れないでいてもらえる」と力を込めた。江戸時代から数え、75人目となる番付の頂点にたどりついた24歳。「横綱大の里」が震災で傷ついた故郷を明るく照らす。(おわり)【平山連】

◆能登半島地震 24年元日に石川県の能登地方で発生した地震で、最大震度7を観測した。地震の死者は今年5月時点で石川、新潟、富山3県で累計592人に上る。石川県内で被害が大きかったのが輪島市と珠洲市。輪島市では観光名所の朝市通りを中心に大規模火災が発生し、多くの歴史的建造物や商店が焼けた。一方の珠洲市では住宅の全壊・半壊が多数発生し、集落ごと孤立するケースも相次いだ。

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