「男はつらいよ」シリーズで知られた渥美清さん(享年68)が亡くなってから来年で20年になる。
「見る側としては、(俳優の)歳がいくつとか、出身はどこなんて分からない方がいい。愛妻家でいいパパですなんて言うと、僕なんかげんなりしてしまう。これ(俳優)やる前、泥棒でもやってたんじゃないか、と思う方が面白いね」
いつも、そんな持論を口にする人で、自身の素顔やプライベートもベールに包まれていた。浅草のストリップ劇場でコメディアンをしていたころからの知り合いだった関敬六さん(享年78)ら、限られた人たちにしか心を許さなかった。
そんな数少ない1人に名脇役として知られる笹野高史(67)がいる。笹野にインタビューする機会があって、久々に在りし日の渥美さんのエピソードを聞くことが出来た。
初共演は85年の「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」。山田洋次監督と渥美さんの信頼を得て、準レギュラーのような存在になり、シリーズには計11作出演している。
「渥美さんはご自分の話はあんまりなさらないんですけど、好奇心が旺盛で、すっと寄ってこられる。空気といいますか、存在感のある方なんで、こちらもすぐに気付くんですがね。とにかく僕らの話を聞きたがりました」
笹野はデビュー前、貨物船の船員として、東南アジアを回った経験があった。
「どこで聞いたのか、『船乗ってたんだってね。うらやましいね』って。で、それはそれは楽しゅうございました…と話し始めると、じーっと耳を傾ける。そもそも、僕のことなんかに興味があるのかなって思っていたし、話し始めるとあんまり静かなものだから、渥美さん、ホントに聞いているんですか! なんて確認したもんです」
笹野の船員経験をふらりと旅を続ける「寅さん」に重ねていたのだろう。人知れず芸熱心だった渥美さんにとっては「学習」の一環だったに違いない。
実は初共演の前に、お互い名乗らないまま顔を合わせたこともあった。
「渥美さんは僕らのような小さな劇団の公演にも、こっそりと足を運ぶ人だったんです。野球帽を深くかぶっているんだけど、やっぱり分かりますよ。緊張しましたね。果たしてウケてもらえるんだろうか。反応が気になって気になって…。で、僕が別の劇団の公演を見に行ったりすると、隣の席に座っていたりするんです。『あんた、この前出ていた人だろ。良かったよ』なんて声を掛けてくださるんです」
90年に笹野が結婚すると、「お金がなくて」結婚式を挙げられなかった夫妻のためにさりげなく食事の席を設けてくれたりもした。
20年前になるが、西田敏行(68)が明かしたエピソードに重なるものがある。
「見ていても笑えないような喜劇をうちの劇団(青年座)がやったことがあるんです。案の定、客席が静まりかえっている中で、前から3列目で笑い転げている人がいる。それが渥美さんでした。あのときのご恩は忘れません」
浅草時代は、ストリップの合間の演芸だから、観客の反応は決していいものではなかった。客席が静まりかえったときの辛さは誰よりも身に染みた。大げさに笑ってみせたのは出演者への激励の意味があったのだと思う。気遣いの人なのだ。
晩年、大船撮影所の楽屋で横になり、肘枕で取材に応じてくれた姿を思い出す。「このままでいいかい。ちょっとだるいんでね」。びっくりしたというよりも、寅さんそのままの雰囲気がかえってうれしいくらいだった。後から考えれば、すでに病魔に冒され、本当に辛かったに違いない。根っからの取材嫌いが懸命に応じてくれたのだ。改めて心に染みる。
好奇心と秘めた優しさと粋なはからい-渥美清さんのかっこよさを思い出す。【相原斎】



