劇作家で演出家、そして俳優の野田秀樹さん(69)が文化功労者に決まった。野田さんは1976年に東大演劇研究会を母体とした学生劇団「夢の遊眠社」を創立し、80年代以降の小劇場演劇のトップランナーだった。

遊眠社の舞台を初めて見たのは79年で、演劇記者になったばかりの時だった。歌舞伎座宣伝部の人に「面白い劇団がある」と、駒場の東大構内にあった駒場小劇場に誘われ、行列に並んで見たのが「少年狩り」だった。野田さん、そして遊眠社がブームとなったのはそのころからで、81年には紀伊國屋ホールに進出した。その年に野田さんは在籍していた東大法学部を中退した。中退の話を聞くため、東大近くの喫茶店で野田さんに会ったけれど、演劇で生きる覚悟と自信あふれる言葉に、大いに刺激を受けた。「演劇記者でいる限り、この人を追いかけていこう」と思い、以降、野田さんの作品はすべて見ている。

92年に遊眠社を解散した後は、英国への演劇留学を経て、演劇制作会社「NODA MAP」をベースに「パンドラの鐘」「THE BEE」「エッグ」「正三角関係」など数々の作品を世に送り出し、ロンドン、ニューヨーク、パリなどでも公演を行い、海外でも高い評価を受けている。

文化功労者に決まってのコメントが野田さんらしいと思った。初期の作品では、言葉遊びの面白さが強く印象に残っているけれど、今回も野田さんは「悪ふざけに聞こえてはなりませんが、自分のやってきた拙い言葉遊びで、『文化功労者』という言葉に報いるとすれば、『文化功労者=ぶんかこうろうしや』が、頑迷な『文化殺し屋=ぶんかころしや』にならないように、引き続き『芝居の道』に精進してまいる所存でございます」という言葉で、コメントで締めくった。文化功労者となっても、自由な野田さん。来年も新作を発表予定だが、野田さんを追いかける日々はまだまだ続きそうです。【林尚之】

1980年、インタビューに答える野田秀樹氏
1980年、インタビューに答える野田秀樹氏