第98回選抜高校野球大会が19日、甲子園球場で開幕する。
開会式の入場行進曲は5人組ボーカルダンスユニットM!LK(ミルク)の「イイじゃん」。
昨年末の第76回NHK紅白歌合戦に初出場して披露した。ダメとか無理と決めつけないで、「夢追ってイイじゃん」「らしくてイイじゃん」とポジティブに行こうぜ、と歌う。
ユニット名は「いろいろなものに混ざりやすく、さまざまな形状に変化することのできる『変幻自在』のユニット」を目指すことから命名された。
新世代の高校球児の祭典にふさわしい曲だ。
センバツ大会の入場行進曲は1924年(大13)の第1回大会からある(第19回大会まで大会名は「選抜中等学校野球大会」)。
第1回大会ではアメリカの行進曲「星条旗よ永遠なれ」と、オーストリアのマーチ王と言われたJ.F.ワグナーが作曲した「双頭の鷲の旗の下に」がメドレーで演奏された。
両曲とも日本で運動会などで使用されている。タイトルを知らなくとも、現在でも誰もが1度は聴いたことのある行進曲だ。
大正時代には、いわゆる大正ロマンで独特の文化が開花した。音楽でも「ゴンドラの唄」「朧月夜(おぼろづきよ)」「月の沙漠」「浜千鳥」など多くの童謡、唱歌、流行歌が生まれたが、行進曲には似合わなかったようだ。
98回を数えるセンバツ大会で、唯一、入場行進が行われなかった回がある。
27年(昭2)の第4回大会である。前年の26年(大15)12月25日に大正天皇が崩御。27年2月に御大喪(葬儀)が営まれた。
国民全体が喪に服し(国喪)、センバツ大会も入場行進が中止された。
大会自体も大会日程を4月29日から5月1日の3日間とし、出場校も前回の16校から半減の8校に縮小された。
5月に決勝が行われたのは大会史上唯一である(優勝は和歌山中)。
センバツ大会には大会歌がある。初代が「蒼空高き甲子園」。2代目が「陽は舞いおどる甲子園」。そして3代目が「今ありて」(作詞・阿久悠、作曲・谷村新司)。
その初代大会歌「蒼空高き甲子園」は、実は1回で姿を消している。
満州事変が始まった31年(昭6)の第8回大会で、入場行進曲に使われた。
時代小説「丹下左膳」の作家長谷川海太郎氏が「谷譲次」のペンネームで作詞し、陸軍戸山学校軍楽隊が作曲した。
ところが歌詞にあった「オール日本の若人に」「ヤング日本の雄叫びを」が、敵性語であると軍部からクレームがつき、わずか1回でボツになった。
2代目大会歌の「陽は舞いおどる甲子園」は、詩人の薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)氏が作詞し、陸軍戸山学校軍楽隊が作曲。34年の第11回大会から第14回大会まで、4年連続で入場行進曲となった。
4年連続4回は大会史上最多で、それ以後、連続で入場行進曲になったのは、第92回、第93回大会の「パプリカ」(Foorin)しかない。
しかし、軍靴の響きが増す時代で、それ以降、「愛国行進曲」「大陸行進曲」など軍歌が入場行進曲に使われるようになった。
戦後、「陽は舞いおどる甲子園」が大会歌として復活するかと思われた。しかし、歌詞に「長棍痛打して」(バットで強く打っての意)や「戦塵あがる」「戦士よ」など時代錯誤の表現があったため、戦後は入場行進曲として使用されなかった。
そして、第65回記念大会で第3代「今ありて」に大会歌の地位を譲った。
いずれにせよ、3曲とも夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」の知名度には及ばない。
62年の第34回大会で「上を向いて歩こう」(坂本九)が入場行進曲になって以降、前年のヒット曲が主に採用されるようになった。
あと2年後には第100回を迎えるセンバツ大会。入場行進曲から、大会や日本の歴史はもちろん、文化や音楽の変遷をも学べそうである。【笹森文彦】





