妻夫木聡(44)は、主演映画「宝島」(大友啓史監督)と巡り合い「映画の力を信じたい」と再び、思えた。2001年(平13)の初主演映画「ウォーターボーイズ」(矢口史靖監督)公開当時に行った、全国に自ら映画を直接届ける試みを6月に映画の舞台となった沖縄から始めた。19日の公開初日の埼玉まで、全国27カ所を回った総移動距離は、1万5000キロに及んだ。40代半ばに差しかかった今、20歳の自分に戻らんとするほどの情熱をたぎらせる心中に迫った。【村上幸将】
★目が覚めた「沖縄戦の図」
妻夫木は、5月5日に都内で行われた完成報告会見で、宣伝アンバサダー就任を発表した。脳裏には「ウォーターボーイズ」公開時の記憶が浮かんでいた。
「沖縄で撮影している時から、できあがって宣伝する時を想像した。いろいろな思いを託して作っているのに、力をお借りして人任せにしていいのかと。愛され、その土地の物語になっていく映画の奇跡を目の当たりにした。この映画なら、きっと届くはず…映画の奇跡、夢を起こせたら、と始めた。自分が言い出した船に乗っていますからね」
6月7日に沖縄で全国キャラバンを始め、初日の19日も埼玉・所沢市を訪問。あいさつした人の数は5000人を超えた。NHK連続テレビ小説「あんぱん」出演に加え、10月12日からTBS系でスタートする主演の日曜劇場「ザ・ロイヤルファミリー」(日曜午後9時)の撮影と多忙を極める中、公開後も日程が許す限り全国に足を運ぶ。東京・新宿の初日舞台あいさつで「明日(20日)も栃木、千葉に行きます」と語った。
米軍統治下の沖縄で米軍基地から奪った物資を住民に分け与える“戦果アギヤー”の英雄オンが消息を絶つ。警察官になって痕跡を追う親友グスクを演じた。
「諦めないことの象徴みたいな役で、自分を犠牲にして人の幸せを願える人間。希望を見いだしてもらえるような存在だと思った。自分のそばにもいてほしい、僕にとってのヒーロー。(演じている時は)そこだけに、すがっていた」
コザを舞台にした06年の映画「涙そうそう」に主演して以降、沖縄と深い関係を築いてきた。撮影前に親友に頼み、沖縄戦で住民が集団自決したチビチリガマと、シムクガマを訪問。その後、誘われて足を運んだ佐喜眞美術館で「沖縄戦の図」を見て、目が覚めた。
「『どこか、分かった気になっていないか?』と絵に言われた気がした。それが撮る上での核になった。学ぶことは大事だけど、何よりも感じなきゃいけなかった。初めて見ていろいろな感情が入り込んできて涙して動けなかった。あの経験がなかったらグスクとして、はいつくばって生きられなかったかもしれない」
★出演は「運命」滑走路激走の「原点回帰」
なぜ出演したのか、と問うと「運命」と即答した。
「『涙そうそう』で仲良くなった皆と毎年、会っているコザが舞台の映画で、またオファーなんてめったにない。住んでいる方の、声にならない声も聞いていた。芝居に変えて伝えていくしかないという使命感みたいなものは生まれた」
完成した映画を見て、立てなくなったという。
「軽く、そしゃくできるような映画じゃなかった…立てなかったなぁ。僕の中じゃ映画の域を超えていたから。撮っている時は役として一生懸命、生きているけれど、起承転結の結が想像できなくて。できあがったものを見た時、この先の未来が今なんだと観客に問いかける、命のバトンの話だと思った。命の鼓動が聞こえた感覚で、生きなきゃと思えた。うれしかった」
オン役の永山瑛太(42)その恋人ヤマコ役の広瀬すず(27)ヤクザになったオンの弟レイ役の窪田正孝(37)ら共演陣に感謝した。
「僕ら芝居に関して一切、話していないんですよ。皆が皆、思いをぶつけてくれた。台本をいくら読んでも感じることができなかったものを走馬灯のように感じ、グッときた。背景にある歴史と向き合い、こんなにアミューズメントパークみたいに見せ場があるものはない。映画館で見ないと、いけない映画。しっかりと食らってほしいんですよ」
空港の滑走路も激走した。大友啓史監督(59)が「『走れない、走れない。勘弁してください』って言って息切らして、走ってたよ」と明かすほど、身を削った原動力は何だったのか。
「沖縄の人たちの、思いなんだろうな…止まっていられない。ありったけの精神、生命力を全部、注ぎ込もうとやっていました」
若き日のようにギラギラした姿が銀幕で躍動しつづける。「ウォーターボーイズ」の頃に戻ったのでは? と問うと、うなずいた。
「原点回帰ですね。体力的にはしんどいですけど、いろいろなことが、すごくシンプルに楽しく感じて。いろいろな土地に行き『あの時は、あんなだったね』と話したり…日本映画って映画を愛する人と、もっと近かったよなって。心を込めて作った映画を、自分たちの手で送り出してあげるべき。携わった映画に自分の子どもみたいなイメージがある。今、子育てしているような感じです」
★この映画ともう1回生き直すつもりで
戦後80年。経験者の数も減っていく中、子を持つ親として、戦争を知らない世代が作る意義を訴える。
「絶対、忘れちゃいけないことでしょう! 人間なんて、忘れて同じことを繰り返す。戦争という大失敗だけは二度と起こしてはいけない。どういうことがあったか知る義務、下の世代に伝える責務は絶対にある。『宝島』を通して知り、感じたことがいっぱいあったんで、思いを全てぶつけた。見ることで何か感じてもらえれば、未来の形が1%でも変わるかもしれないじゃないですか? 僕は映画の力を信じたい」
死生観も変わった。
「終わりな感じがずっとしていたけど、永眠という言葉がある通り、眠っているだけで思いは一緒に生きているんだと思うんです。死後の世界があって、死んだら何十年後、会おうねっていうだけで…そんなにネガティブなことではないんじゃないかと。肉体はないけれど、残った思いに知らず知らず、支えられて生きているんじゃないか」
10年「悪人」、16年「怒り」でタッグを組んだ李相日監督(51)の「国宝」が大ヒットを続けている。お互い意識していたようだ。
「仲が良いんで。撮影時期もほとんど一緒で、一昨年終わりから何回かご飯を食べて。『(尺が)長くなりそう』『うちもだよ!』、撮影中も『どんな感じ?』とか鼓舞しあって」
代表作として残るのでは? と問いかけると、満面の笑みを浮かべた。
「メチャクチャ、うれしいですね。役者冥利(みょうり)につきます。今、これしか見えていないんですよ。人間として強くしてくれた。僕自身、最後に新たな命の鼓動が聞こえた気がするから、この映画とともに、もう1回、生き直すつもりで、これからの人生を歩んでいければいいかなという気持ちでいます」
◆妻夫木聡(つまぶき・さとし)
1980年(昭55)12月13日、福岡県生まれ。98年のフジテレビ系ドラマ「すばらしい日々」で俳優デビュー、同年公開の「なぞの転校生」で映画初出演。03年のTBS系「ブラックジャックによろしく」で連ドラ初主演。10年「悪人」でブルーリボン賞、日刊スポーツ映画大賞主演男優賞。日本アカデミー賞では同作と22年「ある男」で最優秀主演男優賞。16年「怒り」で最優秀助演男優賞。171センチ。血液型O。









