Netflix映画「浅草キッド」にもあったように、ビートたけしの浅草フランス座での初舞台は「チカンのコント」であった。

深見千三郎の扮する兄貴分とその弟分のチンピラが、女性にモテるために片方がチカン役になって女性を襲い、もう一人が助けに入って女性とお近づきになろうという設定だ。まず弟分が襲い、兄貴分が助けると女性に感謝されて思惑通りに良い感じで二人は退場。今後は役柄を交代して兄貴分が襲い、弟分が助けると、いわゆる今で言う“ニューハーフ”“オネエ”であって「何で邪魔すんのよ」と逆に襲いかかってくるというのがオチで、この役を休演した先輩の代わりにたけしが演じた。今回の映画ではLGBT問題に配慮してか、“ホステス”という役柄になっていた。


Netflix映画「浅草キッド」/Netflixで全世界同時独占配信中
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軽演劇の世界には“浅草三大コント”“日本三大コント”と言われる名作ネタがある。映画「男はつらいよ」シリーズで初代おいちゃん役を演じた森川信が昭和7年に作ったとされる「天丼」(原題は「彼と友人」)に「仁丹」。この2本は関係者の誰もが三大コントに数えるが、あとの一本は人によって、エノケンこと榎本健一らが最初に演じた「レストラン殺人事件」や、シミキンこと清水金一が得意とした「丸三角」(別名は「先輩後輩」) などが挙げられる。これらのコントは、ストリップ劇場の幕間コント経験者なら、台本なし、打ち合わせなし、アドリブで出来たもので、上手い者同士がやればいくらでも爆笑が取れた。

「天丼」は、兄貴分が「天丼喰わせるから俺の言う通りにしろ」と弟分に女性を襲わせ、自分が助けに入ってモテようとする。襲い、助ける段取りを教えて何度も繰り返し稽古する場面が笑いのポイントになっていた。この天丼コントのバリエーションはさまざまなネタに応用され、近年では同じパターンのボケの繰り返しをお笑い業界用語で“天丼”と呼ぶことが一般的となっている。たけしの初舞台となった「チカンのコント」も「天丼」が変化したものと言える。


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晴れてエレベーターボーイから進行係兼コメディアン見習いに昇格したたけしに、深見は10本ほどのコントを次々と教えていった。

三大コントの一つ「仁丹」は、他人のハンドバッグを拾った2人組が喜んでいると、警官が登場してバッグを取り上げるところから始まる。「これは私の物です」「自分の物なら中に何が入ってるか言ってみなさい」…弟分が警官の後ろに回ってバッグを覗き込み、警官の向こうの兄貴分にパントマイムで中身を伝えようと四苦八苦。警官が急に後ろを振り向いて「お前は何やっとるんだ、チョロチョロすんな」と言ってみたり。フランス座でも「巡査と万引き兄弟のコント」として、深見がツッコミ役の巡査、たけしが中身を答えるほうの兄貴を演じた。

他にも深見が得意としたネタには、夜の公園で良い雰囲気になったカップルに深見が色々な物を売りつける「便利屋のコント」、隣室から聞こえる新婚夫婦の「全部あなたのものよ」といった夜の営みの会話を深見扮する泥棒が真に受けて右往左往する「泥棒のコント」、浅草に遊びに来た深見扮する春日部農協の副組合長がポン引きの男にスケベな下心を見透かされて身ぐるみ剥がされてしまう「ポン引きのコント」などがあった。深見は舞台上でたけしの芝居を直しながらネタを進め、時には野次る客と喧嘩しながら他の客を笑わせてみせた。


Netflix映画「浅草キッド」/Netflixで全世界同時独占配信中
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そんな深見について、たけしは映画の原作である「浅草キッド」(新潮文庫)の中で次のように書いている。

〈「笑われてやるんじゃなくて、笑わしてやるんだ」という深見千三郎の芸人としての生きザマは、オイラの生理と感性に合っていて大いに感化させられた。

(略)自分で突っ込んでおいて、相手が受けられなければ自分でボケてしまうという芸風。舞台のすべてを自分一人で仕切って譲らない、師匠の独壇場の芸が好きだった。〉

普段から、四本の指がないことを「師匠は平泳ぎなんかしても左に曲がって行っちゃうんですよね。やっぱりタッチの差で負けたんですか」などとネタにしてくるたけしを深見はことのほか可愛がったという。舞台でも、たけしが言葉のチョイスで笑わせることが増えていった。

そんな中、映画でも原作でも先輩芸人の高山として登場する人物のモデルである岡山良男の発案で、コントの代わりに楽器を使った音ネタのボーイズ物が演じられるようになり、たけしの出番がなくなってしまう。そこへ、一足先にフランス座を出て漫才コンビを組んでいた兼子二郎、のちのビートきよしがコンビ解散後に「一緒に漫才やんないか」と、たけしのことを誘いに来た。考えた末に、結局、たけしはきよしの話に乗ることを決め、深見にフランス座の退座を申し出る。

「漫才なんて、あんなもんは芸じゃないよ」と答える深見。子どものように可愛がった弟子が自分のもとを去っていく寂しさもあったのだろう。

最初のコンビ名は松鶴家二郎・次郎。続いて、空たかし・きよし。そして、ツービートに改名。あらゆる世間の常識をたけしが早口でひっくり返すスタイルの漫才に徐々に時代のほうが追いついて、昭和55年の漫才ブームで一躍、全国区の人気者に。


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一方で、この時期のストリップ界は“白黒ショー”“マナ板ショー”など風俗産業化が進んでいた。浅草ロック座を入手した斎藤智恵子は、早くからパリの踊り子たちを招いたレヴュー形式のショーを見せて話題を呼び、アイドル路線やアダルトビデオ出身の踊り子を売り出し、昭和59年の風営法改正を見据えて劇場を建て直す際には音響・照明などに2億円を投じるなどして時代に対応していく。

フランス座のほうは、ストリップもコントも芸を見せるものだという深見の考えが上手く時代にマッチせずに経営が悪化しはじめ、深見の持ち出しが増えていった。見かねた東八郎と東洋劇場で東の後輩だった城東健が深見を訪ね、城東が芸人引退後に設立した化粧品販売製造会社の資材課長として働くことを勧めている。

昭和56年6月いっぱいで深見はフランス座を離れ、浅草のスナックを借りきって行われた「深見千三郎を励ます会」には東八郎、萩本欽一、ツービートが顔を揃えた。

踊り子を引退して一時は芸者をしていた深見の妻は酒が原因で体を壊し、昭和57年夏に死去。

翌58年1月3日にフジテレビの日本放送演芸大賞を受賞したたけしは浅草の深見のもとへ。たけしの著書「ギャグ狂殺人事件」(作品社)によれば、深見は次のような言葉でたけしを出迎えたという。

「観たぞ…タケ! おめえが演芸大賞かい? アハハ、世も末だナ」

2人で5軒はしごをし、たけしは賞金の一部を師匠への小遣いとして置いていった。

そして同年2月2日の早朝、深見は寝たばこが原因と見られる火事で世を去った。

深見の芸人としての思いを受け継いだビートたけし。そのたけしに憧れ、今回の映画を監督した劇団ひとり。映画を観た若い人たちにも何かが伝わったに違いない。(おわり)


<深見千三郎という男 1>

<深見千三郎という男 2>


◆西条昇(さいじょう・のぼる)1964年、東京生まれ。江戸川大学教授。専門はジャニーズ、お笑い、喜劇、ストリップなどを中心とした「舞台芸術」と「大衆芸能史」。新聞・雑誌へのコメントと執筆、テレビ出演も多数。著書に「ニッポンの爆笑王100」など。https://saijo-noboru.blog.ss-blog.jp/