お笑いトリオ、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなった。61歳だった。亡くなる年齢に早すぎるという言葉はあわないが、やはり「早すぎる…」という言葉が出てしまう。直前まで、鉄板のお笑い芸で周囲を笑わせていたのだから無理もない。

訃報を聞いて、あらためて、今月8日放送された「ドリフに大挑戦スペシャル」をTverで見直した。コント番組に欠かせない存在であったのと同時に、天国ではきっと志村けんさんと笑顔で酒を酌み交わしながら再会しているんだろうなと思う。

スポーツ新聞はもちろん、テレビのワイドショーも上島さんの訃報の扱いは手厚かった。お笑いの第3世代だったダチョウ倶楽部のお笑い芸をふりかえると同時に、上島さんの温厚で誠実な人柄をしのんでいた。お笑いにはいろんなジャンルがあるが、老若男女を問わず知名度があり、安定した笑いを届けられる存在は、唯一無二なのだと思う。そして、そんな彼らのほのぼのとした笑いの裏には、上島さんの人柄によるものも多かったように思う。

若いころ、ダチョウ倶楽部が所属する、太田プロの担当だった。ビートたけし、爆笑問題が去った後で、片岡鶴太郎と山田邦子が売れっ子だった。当時から、お笑いの世界では、西の吉本、東の太田と呼ばれており、東京のお笑いタレントが多数所属していた大きな事務所ではあったが、会社内の雰囲気はアットホームだった。芸人も含めて誰もが気軽に訪れ、どこそこで、自然と会話が広がっていく。芸能記者も入りやすい、行きやすい、たむろしやすい事務所だった。

驚いたのは、ギャラが現金支給だったことだ。昔からのならわしなのだろう。毎月の決まった日なると、芸人が事務所まで訪れ、現金でギャラをもらっていく。それを、横で眺めているだけでおもしろかった。ダチョウ倶楽部も3人が一緒に来ることもあったし、それぞれが来ることも。ギャラの金額まではわからないが、キッチリ3等分だったと聞いていた。とにかく、3人が仲良く、ギャラでもめることはもちろん、仲たがいなどの話も聞いたことがない。それぞれメンバーの性格によるものなのだろうが、特に、上島さんの存在が大きかったような記憶が残っている。誰からも愛される人だった。

残念…、早すぎるという、言葉しか出てこない。【竹村章】