俳優の渡辺徹(わたなべ・とおる)さんが11月28日午後9時1分、敗血症のため都内の病院で亡くなった。61歳だった。所属劇団の文学座が2日、発表した。

渡辺さんは生前、城西国際大メディア学部メディア情報学科の特任教授を務め、学生に演技を指導していた。11月29日と12月にも授業が入っていたが、体調が思わしくないと連絡が入り、23年1月後半に日程を振り替えようとしていた矢先の訃報だったという。渡辺さんを大学での指導の道に導き、指導をともにした望月純吉准教授は2日、日刊スポーツの取材に応じ「学生たちに優しく、寄り添って、一生懸命、伝えてくださった。本当に残念です」と無念の思いを口にした。

望月准教授は、渡辺さんが演技部に所属した文学座に25年ほど前に入り、演出部に所属。新人の頃は、渡辺さんが主演する舞台に、末端のスタッフとして関わっていた。「その頃、徹さんはツアーの主役。新人が一緒にやっていただくなど、おこがましい存在。その頃から優しく接してくださった」。その縁から、14年に淑徳大人文学部表現学科の客員教授に就任すると「俳優の指導をお願いして」(望月准教授)渡辺さんも同じく客員教授に就任した。

16年に、望月准教授が現職に就任した際、俳優への指導が足りないと痛感。渡辺さんに指導を依頼し、翌17年4月に渡辺さんは特任教授に就任した。同大で月に2回は演技指導を行い、1回の指導は4時間ほどだったという。講義の前には「このカリキュラムでいくからね」「テキストは~を使うからね」などと綿密に打ち合わせた上で毎回、教材をまとめて指導に臨み、学生の質問を受けながら丁寧に指導していたという。

それ以外に毎年、1年生に向けて「俳優とは何か?」というテーマで特別講義を開いていた。約200人の学生を前に「そもそも、法学部のように目的があって、というのではない学部を選んで来ているんだから、いいかげんに楽しみなさい。そうすれば、いろいろなところに道は開ける」などと、独特の言い回しで、あらゆる所にアンテナを張るよう呼びかけたという。

指導や講義の中で、出世作となった日本テレビ系ドラマ「太陽にほえろ!」撮影時のエピソードなども披露したという。「考えたお芝居では、監督からOKは出ない。どうしようもなくなって、やって初めて監督からOKが出たんだ」などと、自らの経験を交えた話を、学生たちは食い入るように聞いていたという。

10月に東京・よみうり大手町ホールで出演の舞台「今度は愛妻家」が上演されると、授業の一環として舞台稽古に学生を招待したという。同作が結果的に渡辺さんにとって最後の舞台となってしまった。突然の訃報に、学生間で連絡用に使っているLINEで連絡を回しても、学生の多くはコメントすら出来ない状態だという。

望月准教授は「仕事が増えてくると、文学座を離れるものですが、徹さんはずっと劇団員を辞めなかった。みんなで、ものを作るということを大事にしていた。だから学生への指導も、思いがあって来てくださっていた。家族的な視点での指導でした」と、特任教授としての渡辺さんの本質を語った。渡辺さんは、卒業公演を控えた4年生への、ツメの最終演技指導を残して亡くなった。同准教授は「亡くなっても、遺志をつないでいかないと怒られる。まずは学生に話をして、落ち着かせてあげたい。その上で、徹さんから学んだことを再確認して、天国の徹さんが恥ずかしくないようにやろうと、学生には言いたい」と、渡辺さんに誓った。【村上幸将】