2014年(平26)に83歳で亡くなった、俳優高倉健さんのパートナーで高倉プロモーション代表の小田貴月(おだ・たか)さんが8日、テレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜午後1時)に初出演した。

13年に養女となり、17年間ともにした高倉健さんとの生活を振り返った。

香港での2人の出会いから手紙のやりとりが始まった秘話を明かした。

結婚、離婚を経験した高倉さんの著書に「幸せになりたい」と書いてあったことから小田さんは、「ちょっとしたメッセージのやりとりだったんです」と手紙のやりとりが始まり1年近く続いたと話した。

番組では、高倉健さんの1980年(昭55)の初出演や57歳当時の映像などでも振り返った。

幸せになりたいと書いてあった著書の話から、「もっと心豊かに生活されたいのかなと思った」とも振り返った。

養女になったきっかけは、11年に小田さんの母親が倒れた時に、見舞いに訪れても面会が親族しか出来ないことをしり、高倉さんから「それは困る」となったことがきっかけだったとした。

2人の私生活では、「世間で言われているような無口ではなかったです。非常に饒舌(じょうぜつ)でした」と笑顔で答え、誕生日にプレゼントされたときのメッセージカードも映像で紹介。読み上げると涙を浮かべ「本当にうれしかったです」と話した。

14年に高倉さんが検査入院で悪性リンパ腫だったことが分かると、小田さんは「医者から何もしないと死にますと言われ、高倉は「僕はまだ仕事があるんです。いま死ぬわけにはいかないんです」と治療を始めました」と振り返った。

100日目に寛解し退院したが、映画のクランクインのちょうど前に再入院となった。入院中は、映画の話をしていたとし、「ロケに行った場所の話やスタッフと一緒にいるなどずっと仕事の話をしているんです。最後は苦しい中でも話していた。さすりながら、聞き取れなくなって。呼吸も苦しくなって、それでも話していたんです。ようやく聞き取れたのが「慌てるな」だった。それだけは聞き取れたんです」と当時を振り返り、高倉さんからは「僕のことを書いてね」と言われ、本にすることが宿題だったことも明かした。

「闘病の部分とかもきちんと残そう、どういうふうに生き抜いたかが証しになる」と解説。「いまでも(高倉さんの)声が聞こえるんです。すごく寂しいですけど、残された私の心の中で生きているんです」。「生きていることに慣れないように、生きていることはとてもすてきなことだし、笑顔でいることがとっても大事だと」感想を述べ、最後は、高倉さんへ「ありがとうございました」とメッセージを送り目頭を押さえた。