「愛のメモリー」で知られる松崎しげる(73)を先日、インタビューした。バンド「ミルク」時代から、今年で歌手生活55周年になる。その長いキャリアは逸話の宝庫。特に売れない時代に親友や先輩からもらったアドバイスには、いまも「感謝している」という。
その1人が大親友の西田敏行(75)。いまや日本俳優連合理事長という大御所だが、松崎とは70年代半ばに知り合った。売れない者同士、六本木で愚痴を言い合ったり、即興で歌を歌ったりしながら、毎晩のように飲み明かした。
「愛のメモリー」(77年)がヒットした松崎に、東映映画「その後の仁義なき戦い」(79年、工藤栄一監督)への出演依頼が来た。映画デビューとなるうれしい話だったが、松崎の本業は歌手。「二兎(にと)を追う者は一兎をも得ず」のことわざがあるように、出るべきか悩んだ。西田に相談した。すると西田は「今、お前にある可能性を全部試してみればいいじゃないか。試さなければ進まない」とアドバイスした。
西田は76年にTBS系ドラマ「三男三女婿一匹」で、主演の森繁久弥さんにアドリブを返せる男として注目された。そして78年には日本テレビ系「西遊記」で猪八戒役を演じ、人気者になっていた。
西田のアドバイスもあり、松崎は映画に挑戦。その演技を見たTBSのプロデューサーが、松崎を刑事ドラマ「噂の刑事トミーとマツ」(79年~82年、共演・国広富之)に起用した。高視聴率を得て、松崎は俳優としても飛躍した。2人の信頼関係は、変わることなく続いている。
松崎にアドバイスした先輩が朝丘雪路さん(享年82)だった。朝丘さんは毎年、全国のキャバレー(当時は大型高級社交場のこと)を回って大人気だった。
つなぎの中歌を尾崎紀世彦さんが担当していたが、日本レコード大賞を獲得した「また逢う日まで」(71年)が大ヒットして多忙となり、松崎に代役が回って来た。2年近く一緒に全国を回った。その松崎に朝丘が言った。
「(歌は)上手だけどさ、小さくまとまっちゃダメ、松崎君。あんたのようにフレームから外れるような声を出しているんだから、小さくまとまっちゃダメ。大きなことから学べば、いくらでも小さくできるのよ。逆はできないのよ」
松崎の圧倒的な声量を生かした歌唱力は、朝丘さんのアドバイスが生きているという。
ところで、18歳でプロデビューしたバンド「ミルク」は、当時、芸能事務所に勤務していた宇崎竜童(77)がマネジャーだった。ミルクというバンド名は、その宇崎が命名した。いつも練習するスタジオ前に牛乳店があったことが理由の1つだが、「ミルクはホットでもアイスでもいける。幅広い音楽に対応できる」という意味も込められた。松崎は感心し、宇崎のその発想を自分にもいかそうと思ったという。
松崎がいまも第一線で活躍できるのは、人と出会い、アドバイスされ、学んだからだろう。それは、まだまだこれからも続く。【笹森文彦】



