サッカー元日本代表MF中田英寿氏(46)が、セリエAのローマで同僚だった元イタリア代表FWフランチェスコ・トッティ氏(47)と22年ぶりに再会し、対談したスペシャルコンテンツ「22 Years:中田英寿×トッティ」を、10日からスポーツ配信大手DAZNで配信することが決定した。
また、22日発売の「Sports Graphic Number」(文芸春秋)で、より詳細な記事として掲載する。DAZNと、中田氏のマネジメントを手がけるサニーサイドアップが6日、発表した。
10月にトッティ氏が、スウェーデンのブランド「GOLDEN CONCEPT(ゴールデンコンセプト)」のアンバサダーに就任して来日。同社の公式インスタグラムは同24日に、中田氏とトッティ氏のツーショットを公開し「22年ぶりの再会」と紹介していた。
中田氏は、1998年(平10)のワールドカップ・フランス大会後に、Jリーグのベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)からセリエAのペルージャに移籍。同年9月13日に行われた名門ユベントスとの開幕戦で、衝撃の2ゴールを決めるなど、セリエAと欧州主要リーグ初挑戦ながらシーズン10ゴールを決める大活躍を見せた。そのプレーを認められ、00年に名門のローマに移籍した。
ただ、93年から引退した17年までローマ一筋でプレーし「イル・プリンチペ(王子様)」と呼ばれたトッティ氏は、ポジションが重なった中田氏にとっては大きな壁で、控えとして途中出場が増えていった。それでも、首位で迎えた00-01シーズン終盤の01年5月6日に行われた、勝ち点2差で追う2位ユベントスとの直接対決で、中田氏は意地を見せた。0-2の後半14分にトッティ氏に代わってピッチに入ると、同33分にゴール前約30メートルの距離から右足でゴール左隅にミドル弾を決めた。「よっしゃー」と叫んだシーンは、日本サッカー史に大きな1ページを刻み込んだ。さらに同ロスタイムにはアシストを決め、2対2のドローに持ち込んだ。同戦で優勝を決定付けたローマはスクデットを獲得し、中田氏は日本人として初めてセリエA優勝メンバーとなり、ローマの伝説となった。
「22 Years:中田英寿×トッティ」では、同世代であり同じポジションだった2人が、かつての思い出話はもちろん、これまで語られることのなかった数々の秘話や、それぞれの現在の活動、未来について語り合う。対談はイタリア語で行われ、日本語字幕付きで配信する。
中田氏はローマを退団後、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナと渡り歩き、05年にプレミアリーグのボルトンに移籍し、翌06年のワールドカップ・ドイツ大会をもって29歳で現役を引退。09年からは、日本全国47都道府県をめぐる旅を始め、世界に誇ることが出来る日本の文化、同氏が実際に訪問した農家や工芸家、蔵元など、ものづくりの生産者と触れ合い、体験したこと、生産者の情報を発信する日本文化再発見ウェブマガジン「にほんもの」を立ち上げた。さらに、実際に足を運んだ約2000カ所の中から、同氏“こだわりの逸品”を購入できるオンラインストア「にほんものストア」も運営している。
400を超える酒造を訪問し、日本酒の文化的可能性を強く感じたことから、15年に株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立。日本最大級の日本酒イベント「CRAFT SAKE WEEK」を開催するなど実業家として活躍している。
◆中田英寿(なかた・ひでとし)1977年(昭52)1月22日、山梨県甲府市生まれ。同県立韮崎高から95年にJリーグのベルマーレ平塚(現J1湘南ベルマーレ)に加入。98年にセリエA(イタリア)ペルージャに移籍し、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、そしてプレミアリーグ(イングランド)ボルトンと渡り歩く。98年フランス、02年日韓、06年ドイツとワールドカップ(W杯)3大会に出場。ドイツ大会後の2006年(平18)7月3日に現役を引退。国際Aマッチ77試合出場11得点。オリンピックにも96年アトランタ、00年シドニーの2大会に出場。
引退後は世界約90カ国、150以上の都市と日本全国を旅した。その中で、日本酒のおいしさと文化的可能性を強く感じたことから、15年に「株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。日本酒開発やイベントコンサルティング、日本酒アプリ「Sakenomy」、日本酒のトレーサビリティーシステム「Sake Blockchain」の開発など幅広い活動を行っている。また、日本酒以外にも日本文化を国内外に紹介するため、旅の軌跡を紹介するウェブメディア「に・ほ・ん・も・の」や、厳選した作り手を紹介し多言語で出版される書籍「に・ほ・ん・も・の」(KADOKAWA)など、多くのメディアで情報を発信している。



