第74回NHK紅白歌合戦の出場者が、間もなく発表される。SMILE-UP.に社名変更した旧ジャニーズ事務所からは、創業者のジャニー喜多川氏(19年死去)の性加害問題で、出場者ゼロとなりそうだ。旧ジャニーズ勢の出場なしは、第30回(79年)以来44年ぶりとなる。
紅白常連の旧ジャニーズ勢で、唯一、選ばれた後に自らの意志で出場辞退したのが田原俊彦だった。第39回(88年)の紅白だった。第71回(20年)で、Snow Manが選出後に辞退しているが、これはメンバーの新型コロナウイルス感染が理由で、当時は避けられない辞退だった。
田原は、旧ジャニーズ勢としてフォーリーブス以来4年ぶり出場となった第31回(80年)に初出場し、「哀愁でいと」を披露した。たのきんトリオの近藤真彦、野村義男が応援として登場し、花を添えた。
それ以来、田原は7年連続で出場し、「悲しみ2(TOO)ヤング」「誘惑スレスレ」「チャールストンにはまだ早い」など数々のヒット曲を披露した。
自他共に認める紅白の常連になっていたが、第38回(87年)で選ばれなかった。この回は、旧ジャニーズ勢からは近藤真彦と少年隊の2組だけとなった。田原は「来年選ばれても出るかどうか分かりません。僕も男ですから」と話した。
その翌年の88年に、田原はフジテレビ系ドラマ「教師びんびん物語」に主演し、主題歌「抱きしめてTONIGHT」を大ヒットさせる。ドラマも平均22・1%の高視聴率を記録した。
その年末の第39回紅白で、田原はすぐにカムバックした。ところが発表から1週間後、田原は出場を辞退した。事務所やレコード会社が説得したが、田原は聞き入れなかった。代役として同じ事務所の男闘呼組が初出場した。田原は94年に事務所を独立するが、辞退以降の紅白出場はない。
過去に、体調不良や事故、不祥事を除き、自らの意志で選出後に出演を辞退したのは、第20回(70年)の江利チエミさんと田原しかいない。江利さんも前年に“落選”していた。理由は新旧交代と言われた。江利さんは辞退に関して「私にはヒット曲がないので」と話した。第4回(53年)から第19回まで16年連続で出場していたが、この辞退以降の紅白復帰はなく、82年2月13日に45歳の若さで死去した。
紅白は歌手にとって夢舞台と言われるが、人生を懸けてまでこだわるステージなのだろう。【笹森文彦】



