脚本家の山田太一(やまだ・たいち)さん(本名・石坂太一=いしざか・たいち)が11月29日、老衰のため川崎市の施設で死去したことが1日、分かった。89歳だった。「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など数多くの名作ドラマを手がけた日本を代表する名脚本家だった。葬儀は家族で行う。喪主は長男の石坂拓郎(いしざか・たくろう)氏。
◇ ◇ ◇
この日、山田さんの親族が書面で死去を発表した。「療養中でありました山田太一は、令和5年11月29日にお世話になっていた川崎市内の施設にて老衰のために息を引き取りました」。とても安らかで静かな旅立ちだったと明かし、「仕事に対しては常に厳しく真剣でしたが、私たち家族にはユーモアにあふれ、楽しく優しい父として心に残っています」と続けた。
浅草で生まれた山田さんは、早大卒業後の1958年(昭33)に松竹大船撮影所に入り、木下恵介監督の助監督を経て、65年に脚本家として独立。72年放送開始のNHK連続テレビ小説「藍より青く」が高く評価された。
70年代には、鶴田浩二さん演じる元特攻隊員の葛藤や戦後世代との確執やギャップを描いた「男たちの旅路」(76~82年)や、水害でマイホームを失う中流家庭の崩壊と再生を見つめた「岸辺のアルバム」(77年)などの話題作を次々に発表。市井の人々の人生や家族模様を細やかに描く作風で、オリジナル作品にこだわり続けた。同じ脚本家の向田邦子さんや倉本聰さんらとともに、映画とは異なるテレビドラマ独自の魅力を確立。その可能性を広げるのに大きな役割を果たした。
80年代以降にも「想(おも)い出づくり。」「早春スケッチブック」などの秀作を手がけた。中でも83年に始まった「ふぞろいの林檎たち」は、学歴や容姿に不安や劣等感を抱える大学生たちの青春群像をリアルに描き、97年まで断続的に続く人気シリーズに。他にも「日本の面影」「ありふれた奇跡」、大河ドラマ「獅子の時代」など多数の人気作を世に送り出した。2010年代に入っても東日本大震災や老いなどの社会的なテーマで意欲的な単発ドラマを発表し続けた。
活躍の場はドラマだけではなく、映画や舞台の脚本も手がけたほか、映画化もされた小説「異人たちとの夏」で山本周五郎賞を受賞。他にも「飛ぶ夢をしばらく見ない」などの小説を多数執筆した。近年は脳出血の後遺症で療養生活を送っていたが、「異人-」はイギリス映画「All of us Strangers」として来年春に公開予定だ。
テレビ史に残る多数のヒット作を生み、お茶の間に多くの感動を届けた多才な名脚本家が天寿を全うして旅だった。
◆山田太一(やまだ・たいち)本名・石坂太一(いしざか・たいち)。1934年(昭9)6月6日、東京・浅草生まれ。早大卒業後の58年に松竹入社。木下恵介監督に師事する。65年に退社して脚本家に。74年に「真夜中のあいさつ」で文化庁芸術祭大賞。84年に「日本の面影」で向田邦子賞。85年に「ふぞろいの林檎たち2」などで菊池寛賞。91年には映画「少年時代」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞するなど、幅広い分野で活躍した。



