先日、NHK「ファミリーヒストリー」の佐藤浩市(64)の回を見ながら、父・三国連太郎さん(13年90歳没)を取材した時のことを思い出した。
番組は、さすがによく取材されていて、佐藤の長男寛一郎へと3代受け継がれた役者魂が伝わってきたが、特に興味深かったのが、三国さんが監督した映画「親鸞 白い道」のエピソードだった。
この作品は準備段階の三国さんのインタビューに始まり、何度も取材する機会があった。
番組でも紹介されたが、三国さんは終戦2年前の20歳の時に徴兵通知を受け、反戦の思いを抱いて逃亡。憲兵に捕まって中国の前線に送られたが、殴られても決して敵兵を撃たなかった信念の持ち主だ。
鎌倉時代、世の理不尽に抗って「人の道」を説いた親鸞の生き方に重ねた思いは強かった。
「僕は今、どの宗派の信者というのでもないが、仏教は元来人間の心の支えであり、平等が基本原理なのに、現在はそれがゆがめられています。根強くある差別に若い頃から抵抗があり、その原点を宗教を知ることにより、多少ともつかみ得ると思いました。戦前生まれのせいでしょうか、執着心というか妙な責任感があるのですね。自分が感じた正しい人の道というのをどうしてもたくさんの人に伝えたかったんです」
当時の記事を見返すと、こんな風に語っている。この時62歳。入社間もない、子どものような年齢の私にも敬語を使った。自ら原作を執筆してからクランクインまで10年を費やした思いが伝わってきた。映画は興行的に大成功とはいかなかったが、カンヌ映画祭に正式出品されるまでの評価を受けた。
そのちょうど10年後、文字通り老境に差しかかった三国さんが主演した映画「大病人」の撮影現場で垣間見た姿も忘れられない。
今のようにセキュリティーが厳しくなかったので、時間が空くとよく近郊の撮影所に”遊び”に行っていた。その日も顔見知りの宣伝マンの手引きでスタジオ内を見学した。
当の三国さんも、当時1番の売れっ子だった伊丹十三監督(97年64歳没)も記者がこっそり見ていることは知らなかったはずだ。
病床の三国さんがけっこうな長ぜりふを言うシーンだったが、その抑揚が監督には気に入らない。当時では珍しく、伊丹監督はカメラからひいたモニターで演技をチェックしていた。だから実際に芝居をしている三国さんとはかなりの距離があった。
「違う!」「もう1度!」…10歳上の先輩俳優を叱責(しっせき)する声が何度もスタジオに響いた。ついには、三国さんのセリフが止まって、いったん休憩となってしまった。
休憩中も、繰り返しセリフを確認する三国さんの姿に感服するとともに、実績のある大先輩への敬意を欠いているのではないかと、監督には少々腹が立った。
再開後は、意外にもあっけなく「OK」が出た。後から考えると、この作品のキモでもあった大病人の錯乱を演出するためのあえての「追い込み」だったのだと。三国さんも監督の意図を理解していたに違いないと、納得した。
結婚は4度。私生活は波瀾(はらん)万丈だった希代の名優は、俳優としての生き様は晩年までまっすぐだった。【相原斎】



