演歌歌手松前ひろ子(75)が9月6日、都内で55周年記念コンサートを行い、弟子の三山ひろし(44)が特別出演をしました。
三山は歌手を志して19年前に高知から上京。25歳でした。高校卒業後、地元のガソリンスタンドに就職しますが、歌手になる夢をあきらめきれず、「歌手になれなかったら兄ちゃんはいなかったものと思ってくれ」と弟に告げて故郷を出ます。悲壮な決意です。
松前との出会いは偶然でした。たまたま働いたのが松前の経営するライブレストラン。松前によると「お店は午後6時から。働き始めて3カ月くらいたったら『昼が空いているからコンビニで働いてもいいですか?』と聞いてきたんです。何でなの? と聞いたら、(母子家庭の)家が貧しいのでもっと働きたいと。だったら、昼は同じビルにある(松前の芸能事務所)ミイガンで働いたらどうかと言ったんです。両方から給料を出してあげるからって。それからミイガンの名詞を作って、厚生年金や社会保険、失業保険もかけました。そんな歌い手は他にはいないと思うんですよ」。
歌手志望だと知った松前は、公演の仕事があると三山を付き人として連れて行きました。「私のバッグを持って、水とコップとティッシュを手にして待機をするんです。そしてステージで1曲だけ歌います。『恒石正彰の曲を1曲だけ聞いてください。いつかデビューをしますから、その時は応援をお願いします』って私が皆さんに言いました。それを約2年やった。だから『三山ひろし』としてデビューをする前から、恒石君を応援をしてくれる人が自然と増えたんです」。
三山は松前の55周年に合わせ、自身が作詞作曲をした曲をプレゼントしました。タイトルは「片恋文」。松前の夫である作曲家中村典正さん(19年に83歳で死去)との夫婦愛を描いた作品で、松前から中村氏への“ラブレター”です。公演では松前が涙ながらに歌唱していました。
三山は松前について「弟子として誇らしいです」と口にします。絵に描いたような“好青年”ぶりに、ついつい「裏の顔はないのかな…」な~んて詮索をしたくなりますが、少なくとも出会ってから10年以上はずっとこのまんまです。
三山が「片恋文」を作った際のペンネームは「中村心一」です。「自分の師匠は中村典正先生と心に決めています。そんな思いでこの名前にしました」と明かしました。土佐弁では頑固で気骨のある男性を「いごっそう」と呼びます。恩義のある「松前&中村夫妻」への思いを貫く三山はまさにその通り。そして55年の及ぶ歌手歴に加えて芸能事務所の社長もこなし、周囲をけん引する松前は土佐弁で“強い女性”を意味する「はちきん」と言えます。そんな師弟です。【松本久】



