16日に長野県軽井沢町のホテルで自殺した音楽家加藤和彦さん(享年62)の密葬が19日、都内でしめやかに営まれた。親しい音楽仲間や関係者ら約100人が参列し、最後の別れを惜しんだ。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった北山修(63)は「明るさと厳しさのバランスが天才をつくった。いつも相談してくれたのに最期だけは何の相談もしないで逝った」と“戦友”の若すぎる自死を悼んだ。

 加藤さんの遺志から、葬儀は無宗教方式で、喪主も葬儀委員長も立てずに密葬で行われた。日程を伝えたのもごく親しい関係者だけ。音楽ユニット和幸でコンビを組んだ坂崎幸之助(55)ら約100人だけが最後の別れに訪れた。

 参列者によると、加藤さんの遺体は花に囲まれて、頭のところに遺影とホテルで書き残した遺書が置かれた。遺書は参列者に読まれるように飾ってあり、「これまでに自分は数多くの音楽作品を残してきた。だが、今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい」との趣旨が記されていたという。ある参列者は「音楽界で生きてきた自己の存在を否定しているような印象を受けた。うつで通院していたようで、相当悩んでいた印象です」と話した。

 参列者全員が白いカーネーションを献花した。最後に加藤さんへの別れと参列者へのお礼をかねて北山があいさつに立った。「彼の中には2人の加藤和彦がいました。1人はいつもニコニコ笑ってステージに立っている加藤。もう1人は作品作りにかける厳しい加藤。この2人のバランスが彼の天才を作っていた。いつもみんなにいろいろと相談していたが、今回だけはだれにも相談せずに1人で逝ってしまった」との内容を無念そうに話したいう。

 出棺時には、友人たちが遺体を霊きゅう車に運んだ。3度離婚した加藤さんが最後に同居していた30代の女性が、にこやかにほほえむ加藤さんの遺影を抱いて助手席に乗り込んだ。周囲には一般人でもあり、マスコミの前に出ることを懸念する声もあったが、「悪いことをしているわけではないから」と毅然(きぜん)とした態度でカメラの前に立った。

 「あの素晴しい愛をもう一度」など名曲の数々を残した。希代のメロディーメーカーが帰ってくることはないが、多くのファンに向けた「お別れの会」を後日行う予定だ。

 [2009年10月20日8時53分

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