2月末で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」。第3回は栗東・池添兼雄師(70)が登場する。74年に騎手としてデビュー。障害を中心に通算185勝を挙げた騎手時代や、息子である謙一騎手(43)、学調教師(42)への思いなどを語った。【取材・構成=下村琴葉】

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騎手になるきっかけは、鹿児島の瓦とか作っているセメント屋の社長さんでした。その方が馬主で、大久保亀治先生(大久保龍志現調教師の祖父)に紹介してもらって、スカウトされたみたいな感じでした。私は農業学校を卒業したところで、「体も小さいからどうか」ということで。乗馬とか全くしていなかったけど、いきなり競馬の世界に入ることは、抵抗も何もなかったね。騎手になるために馬事公苑の長期騎手課程試験を受けた。受からなかったら鹿児島に帰るつもりだったけど、受かって74年にデビューしました。

馬事公苑にいる時に亀治先生が亡くなって、騎手免許は大久保石松先生の名義で取らせてもらいました。亀治先生と血縁関係はないのに面倒をみてくれました。障害馬なども用意してくれて、感謝しています。

平場も乗っていたけど、もともと筋肉がついていて体重も重かったから、障害専門になりました。ユウハヤテという馬に乗った時に、管理していた武田文吾先生に「障害は自分でつくるんだから、馬との信頼関係と自信を持って前々で競馬しなさい」と言われて、その通りに乗って大差で逃げ切って勝ったんです。それで褒めてもらって、障害レースで自信を持って乗るようになりました。障害馬は障害試験を受けたりして、騎手が自分でつくるもの。今の若い子にも、自分がつくった馬に乗るときは馬を信頼して、自信を持って乗ってほしいなと思います。

調教師になるきっかけは謙一がジョッキーになるというのと、学も競馬関係の世界に入るということでした。ちょっとでも手助けできたらいいかなと思って。その前にも試験はずっと受けていたけど、1次も受からなかった。謙一がジョッキーになるので、真面目に勉強するようになりました(笑い)。2人が小さい頃からジョッキーを目指していたので、目が悪くならないようにゲームとかは買いませんでしたね。骨とかに影響するような飲み物も飲ませませんでした。

2人が競馬の世界に入って、最初は心配してたけど、今はそれぞれ考えてやっているだろうから、何か言ったりはしませんね。“努力に勝る天才なし”というのが座右の銘なんですけど、1日1日馬のことを考えてやってくれたら、自然と結果がついて来てくれる。けがをしないで頑張ってほしいです。

うちの調教助手をしていた茶木、橋口、上村、学たちも調教師試験に受かって、頑張ってくれています。引退しても、それを見て応援するのもひとつの楽しみですね。厩舎の心構えというのはありません。70%くらいはスタッフの意見を入れているかな。スタッフとも信頼関係ですからね。

50年近くいた競馬の世界を離れることにさみしさはないなぁ。謙一も学もこの世界にいるからね。日本の競馬はこれだけファンがいて、コロナ禍でも売り上げが上がったり、素晴らしいと思います。外国に行って日本の馬がすごいなと思われるような活躍をしてほしいです。競馬界がますます発展するように、陰ながら応援します。

◆池添兼雄(いけぞえ・かねお)1952年(昭27)10月22日、鹿児島県生まれ。74年3月にJRA騎手デビュー。84年の中山大障害(春)をメジロジュピターで制すなど、通算1587戦185勝(うち障害763戦130勝)で92年に引退。同年3月から栗東・鶴留明雄厩舎の調教助手に転身し、97年に調教師免許を取得し、99年3月に厩舎開業。同年阪神3歳牝馬Sをヤマカツスズランで制しG1初制覇。メイショウベルーガ、ヤマカツエース、カツジ、メイショウミモザなどでJRA重賞通算18勝。通算433勝(うち障害24勝※5日現在)。長男謙一はJRA騎手、次男学は調教師。

2月末で引退する調教師
2月末で引退する調教師