【レジェンドのその後】元気の源は粉ミルク!グレート小鹿 ギネス記録の野望

一線を退いてもまだまだ元気だ! 往年の名選手、指導者の気になる今を紹介する「レジェンドのその後」を蔵出しして毎週金曜日に配信します。今回は今なおリングに上がり続けるプロレスラー、グレート小鹿さんです。(2017年12月5日紙面より。年齢、所属など当時)

レジェンドのその後

桝田朗

<プロレスラー、大日本プロレス会長>

75歳を迎えてなおリングに上がり続けるプロレスラー、グレート小鹿(大日本プロレス会長)の元気の源は、赤ちゃん用の粉ミルクだ。8年前から毎朝飲み続け、今や欠かせないプロレス人生の支えとなっている。「我の生きる道はリング」という小鹿の健康ライフとは? 

97年、マサ斎藤と戦うグレート小鹿

97年、マサ斎藤と戦うグレート小鹿

◆グレート小鹿(ぐれーと・こじか)本名・小鹿信也。1942年(昭17)4月28日生まれ、北海道函館市出身。17歳で千代の山に誘われ出羽海部屋入門。21歳で日本プロレス入りし、力道山の最後の弟子と言われる。63年にプロデビュー。日本プロレス消滅後、全日本プロレス入り。米国で悪役レスラーとして活躍した。88年、全日本退団を機に引退。その後、94年に大日本プロレスを設立し社長としてリングに復帰した。14年にはNPO法人を設立し、全国に資源を増やすため植林活動を行っている。185センチ、115キロ。

乳児用の粉ミルクを手に笑顔を見せるグレート小鹿

乳児用の粉ミルクを手に笑顔を見せるグレート小鹿

ドリー・ファンクjrに負けていられない

11月28日、横浜ラジアントホールで開催された全日本プロレスの横浜大会で、小鹿は8人タッグに登場した。相手には、小鹿より1歳上で、今なお現役レスラーとして活躍するドリー・ファンク・ジュニア(米国)がいた。今年24回目の試合出場で、小鹿は元気に動き回った。

「リングに上がれば年なんて関係ない。出場した8人の中で、1番目立つことしか考えないよ。オレは、プロレスラー最年長の現役としてギネスブックに載りたいんだ。ドリー・ファンクに負けていられないよ」と小鹿は言った。プロレスに引退はないと言われるが、75歳とは思えない小鹿の動きは、ファンを大いに喜ばせている。

17年11月、大日本プロレス後楽園大会で見事勝利を収めた75歳のグレート小鹿(左から2人目)

17年11月、大日本プロレス後楽園大会で見事勝利を収めた75歳のグレート小鹿(左から2人目)

毎朝赤ちゃん用を1杯

小鹿に健康の秘訣(ひけつ)を聞くと、驚くような答えが返ってきた。「オレは毎朝、赤ちゃん用の粉ミルクをコーヒーカップに1杯飲むんですよ。それに、オリーブオイルをかけたトースト。これがオレの健康法だね」と豪快に笑った。

8年前のある朝、新聞に人間の細胞は、20歳を過ぎると、どんどん死んでいくということが書いてあったという。ショックを受けた小鹿は、どうやったら死んでいく細胞の数を減らせるか考えたという。そこで思いついたのが粉ミルクだった。「赤ちゃんが細胞を増やすために粉ミルクを飲むんだったら、もしかしたら5個でも10個でも年をとって死んでいく細胞が助かるんじゃないか」(小鹿)。物は試しと飲んでみると、肌はつやつやになり、夜もぐっすり眠れるようになったという。最近「大人の粉ミルク」がブームとなっているが、小鹿ははるか前から「粉ミルク健康法」を実行していた。

若かりし時のグレート小鹿

若かりし時のグレート小鹿

強い体は今でも維持

現役レスラーとして、毎朝布団の上で股関節のストレッチ800回、腹筋200回を欠かさない。年間25回の試合出場に、プロレス興行やNPO活動で、出張は100日以上。全日本プロレス時代に故ジャイアント馬場さんから「お前は本当にケガしないな。無事これ名馬」と称賛された強い体をずっと維持している。

「試合に出てくれと言われる限り、プロレスはやめない。来年は、全日本のアジアタッグに挑戦するのが小さな夢。この年でベルトを腰に巻いてみたいな」。小鹿のプロレス人生はまだまだ続く。

【「レジェンドのその後」は毎週金曜日に配信します。お楽しみに!】