初出場の橋岡優輝(22=富士通)が8メートル10で6位に入賞した。予選で8メートル17を跳んで、上位12人による決勝に進出した橋岡は、1回目はファウルとしたが、2回目に7メートル95、3回目に7メートル97を跳んで、84年ロサンゼルス五輪の臼井淳一さん以来37年ぶりに上位8人に残って入賞を確定させた。4回目はファウル、5回目も7メートル94と記録を伸ばせなかったが、最終6回目に8メートル10を跳んだ。

37年ぶりの入賞にも橋岡は試合後のインタビューの第一声で「悔しいです」と笑顔はなかった。「体の調子はそんなに悪くなかったけど、かみ合わせの部分でうまくいっていないところがあった。もう少しかみ合っていれば」と話した。一方で「最後に8メートルを超えたことはよかった。37年前は生まれていなかったので、そんなにピンと来ないけど、入賞したことでパリへ向けていいスタートを切れるのかなと思う」と、目標とするパリ五輪でのメダル獲得へ手応えはつかんだようだった。

2年前の世界選手権では日本勢史上初の入賞となる8位だった。6月の日本選手権では自身の日本歴代2位を更新する8メートル36の自己ベストで優勝。東京五輪の予選は1回目で8メートル17を跳び、日本勢37年ぶりの決勝進出を決めていた。

まさに華麗なる一族。父利行さん(57)は棒高跳びで日本選手権5連覇を含む7度優勝、母直美さん(52)も100メートル障害で高校総体3連覇など幅広い競技での実績を誇る。またいとこもサッカー日本DF橋岡大樹(22=シントトロイデン)だ。コロナ禍で練習場が使えなくなった時は、母と父をそれぞれ担いで「重り」としスクワット。何とも家族愛が詰まったトレーニングで足腰を鍛えた。また不安なコロナ禍では、気持ちが折れないよう父母もランニングに付き合ってくれた。試合後は家族が撮影したビデオを見て、助走や跳躍を確認し、修正を施し、着実に強くなった。

もともと助走スピードが課題だったが、日大で森長正樹コーチの指導を受けるなど改善。安定していた記録のアベレージは大きく伸びた。整った顔立ちのイケメンジャンパー。長く日本勢が鬼門だった種目で、メダルは逃したが入賞を成し遂げた。

3年後のパリ五輪へ向けて橋岡は「来年は海外を拠点にするような形で、タフに試合をこなしてもっと世界レベルで強くなれるようにやりたい」と青写真を描いていた。

 

◆橋岡優輝(はしおか・ゆうき)1999年(平11)1月23日、さいたま市生まれ。同市・岸中から陸上を始める。八王子学園八王子高から本格的に走り幅跳びに専念し、3年時は高校総体、国体、日本ジュニア選手権と高校3冠を達成。18年世界ジュニア選手権金メダル。19年世界選手権は8位に入り、日本勢初入賞。趣味は釣り、ゲーム。183センチ、75キロ。