個人でも世界で通用するのではないか-。

そう活躍を期待された日本スプリント界は、世界の前に完敗した。陸上の男子100メートルに続き、200メートルも日本の代表3人は予選敗退で、決勝はおろか準決勝にも進めなかった。みな調子のピークを東京五輪に合わせきれなかった。なぜか-。

まず全体のレベルが上がったことによる“副作用”がある。顕著な例で言えば、5年前のリオデジャネイロ五輪前は9秒台スプリンターは0人だったが、現在は4人。6月下旬の日本選手権に完璧な仕上げで挑まねば、まず代表から落選してしまう状況となった。日本選手権は少し余力を残し、五輪は「100%」というプランは、大きなリスクとなった。その完璧に仕上げた後、五輪は約1カ月後。日本選手権の反動も大きく、調子を維持するのは難しい。ハイレベルな状況が、五輪のピーキングへ“負”の形で働いた。

またリオ五輪と比べ、東京五輪は参加標準記録が引き上げられた事も背景にある。100メートルは10秒16から10秒05、200メートルは20秒50から20秒24。比較的、楽に突破できていた以前と違い、体と心をきちんと整えないと届かない数字に変わった。結果として、春から徐々にコンディションを上げ、夏に完璧とする「方程式」は最適でなくなった。参加標準記録を突破できていない選手は、シーズンイン当初の春から状態を上げることが求められた。

今年6月6日の布勢スプリントで日本記録9秒95も含め、100メートル参加標準記録をクリアした山県亮太(29=セイコー)は、そこに調子の山を作る必要があった。同日に参加標準記録を突破した多田修平(25=住友電工)は、日本選手権までは好調だったが、五輪まで続かなかった。飯塚翔太(30=ミズノ)も例年より早い調整を進め、春が調子の最高値だった。その反動もあってか、5月に右膝に違和感が出て、予定通りの練習はできぬまま、夏を迎えた。

熾烈(しれつ)な日本選手権、そして参加標準記録を、まだ余力ある中で突破できる。世界で戦えるには、その力を養っていく必要がある。【上田悠太】