女子やり投げの北口榛花(23=JAL)が全体6番目となる62メートル06をマークし決勝進出を決めた。同種目の日本勢決勝は64年東京五輪7位の佐藤弘子、11位の片山美佐子以来、57年ぶりの快挙だった。

62メートル06は1投目にマークした。そこに成長が詰まっていた。「いきまーす」。いつも通り、大声で叫んでから投げたやりは、大きな放物線を描いた。突破を濃厚とする今季ベストの記録を確認すると、満面の笑み。無邪気にぴょんぴょん跳びはねた。「大はしゃぎしちゃって反省してます」。練習は不調で、緊張で「手が震えてました」というが、会心の一投だった。

日本記録保持者として、決勝進出を期待された19年世界選手権は予選敗退。予選の3投で納得のいく投てきができず、最高は60メートル84。わずか6センチ差で決勝に届かず、スタンドで大号泣していた。この日の感情は、2年前とは正反対だった。

16年5月に当時日本歴代2位の61メートル38を出し、リオ五輪出場も期待されたが、右肘の靱帯(じんたい)を損傷し、かなわず。それから伸び悩む時期が続いた。チェコ人のコーチに直談判し、指導を仰ぐようになり、復活の道を切り開いた。山登りとローラースケートなど少し変わったメニューもあったが、信頼して取り組んだ。今までまったく知らなかったチェコ語も学び、隔離などのルールを厳守し、今春もチェコで練習した。「メダル獲得の目標はぶれない。決勝も笑って試合をできるように」。決勝では日本勢初のメダルに挑む。【上田悠太】

 

◆北口榛花(きたぐち・はるか)1998年(平10)3月16日、北海道旭川市生まれ。3歳で水泳を始めて、小6時にはバドミントンの全国大会で団体優勝。旭川東高1年までは競泳と陸上の二刀流。19年5月に日本記録64メートル36を樹立し、同年10月に66メートル00と大幅更新。父幸平さんはパティシエで、ヘーゼルナッツが実る「榛(ハシバミ)」が名前の一部に。179センチ。