19年の五輪代表選考会「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」を制した前田穂南(25=天満屋)が33位となった。2時間35分28秒を記録。表彰台こそ逃したが、初めての五輪レースに思いを込めた。

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MGC優勝から2年。暑さの影響を考慮して開催地は東京から札幌に変わり、新型コロナウイルスの感染拡大で五輪は1年延期となった。前日6日にはスタートが1時間早まる発表があった。それでも心身を整え、スローペースの序盤からレースを引っ張った。

兵庫・尼崎市に生まれ、ピアノは2歳から高3まで続けた。長い手足を生かし、陸上でも輝いた。

園田東中1年秋のことだった。市内で行われた中長距離の記録会。レースが終わると前田は1人、うつむいていた。1500メートルで5分を切ることができず、涙を流していた。当時指導した白井英世さん(43)は「1年生の女子で5分を切るのは、すごく高いハードル。『全国に行きたい』という、強い気持ちを感じた」と懐かしげに振り返る。顧問が会議で練習を見られない日も、校長から「あの子ら先生がおらんでも、自分らでやっとるよ」と伝え聞くほど、意識が高かった。

芯の強さに加え、さりげなく他人を思いやる心があった。兵庫県の東の端にある尼崎から、西に位置する加古川市への遠征。日中に2本のレースをこなし、白井さんが運転する車で数人の仲間と尼崎に帰るのは、日が暮れてからになった。

「先生に質問です!」

疲労を抱え、睡魔に襲われるかもしれない白井さんを気遣い、前田は後部座席から声をかけた。たわいもない話で盛り上げ、白井さんは「『自分も疲れているのに優しいな』とうれしかった記憶があります」とほほえんだ。

駅伝の強豪である大阪薫英女学院高を経て、15年に天満屋へ入社。マラソンで勝負する強い意志を胸に実業団へ飛び込み、2年後の17年大阪国際女子でマラソンデビューを飾った。

MGCで五輪切符をつかんでから約2年が経過した。今大会前には「気持ちの面でもコントロールするのに難しさがあった」と明かした。難しい状況でも自らを律し、初めての五輪で今後に生きる経験を積んだ。