19年の五輪代表選考会マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)を制した中村匠吾(28=富士通)は2時間22分23秒で62位となった。苦しい時間もあった代表決定後の2年間の思いを走りに込めた。

待ちわびた五輪のスタートラインだった。

「正直苦しい面っていうのは長期間故障が続いてあったけれど、たくさんの方が支えてくださった。そういった気持ちと、自分自身これまで五輪に懸ける思いを強く持ってきた。全てを出し切ってゴールしたい」

左足甲の痛みで2月のびわ湖毎日マラソン、5月の五輪テスト大会(札幌)を欠場。そのびわ湖で所属の後輩の鈴木健吾(26)が2時間4分56秒の日本記録を樹立した。「日本記録保持者、(2時間)4分台と世界に近づいている選手が身近にいるのは刺激になる。焦りもあったけれど、チームメートと一緒に(練習)できたのは、私自身も次に向けて自信になった。刺激を受けながら、高め合っていけるのはいい」。五輪に向けては長野・菅平合宿で約2カ月の高地トレーニングを行い「最後の2~3週間、質を上げられた」と状態は上向きになった。

MGCからの2年間は暑さを理由に開催地が東京から札幌に変更になり、新型コロナウイルスの影響で五輪自体が1年延期となった。もがき、苦しみながらも、この日を目指してきた。三重・上野工(現伊賀白鳳)高出身。三重は多くの名ランナーを輩出した。2年前のMGC優勝一夜明け、このように口にしていた。

「三重県から瀬古(利彦)さん、野口(みずき)さんら、いろいろな方が五輪の代表になった。ようやくその夢舞台のスタートラインに立てるという、実感がわいてきた。今までの先輩たちが結果として残してくれたプレッシャーも当然あるけれど、自分がどこまで挑戦できるか。今はすごく楽しみです」

自国開催の五輪。1歩1歩をかみしめながら、42・195キロを走りきった。