航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス(BLUE IMPULSE)」が23日午後、東京五輪開会式を控えた国立競技場(東京都新宿区)の上空に57年ぶりに5色の五輪マークを描いた。雲と重なり、ややかすれもしたが、緊急事態宣言中ながらも都内各所には一目見ようと大勢が繰り出し、歓声を上げた。

この日の都心の空は、伝説の1964年10月10日、前回開会式の時よりも雲が多かった。飛行隊長の遠渡(えんと)祐樹2佐率いる6機8人は、午後0時20分ごろ埼玉・入間基地を出発。都庁、東京タワー、スカイツリーなど都心部を周回した後に、国立競技場付近に進入。同50分ごろ、2~6番機の5機が赤、黒、青、緑、黄のスモークで輪に挑んだ。かすれて見にくいところもあったが、1つの輪の直径は約1・2キロ、全体の幅は約4キロの大きさだった。

ブルーインパルスは宮城・松島基地の第4航空団に所属する第11飛行隊。基地は2011年東日本大震災で被災。「復興五輪」を掲げる今大会に向け、協力を想定して準備を進めてきた。カラースモークは地上の物に色がつくなどしたため使用を中止していたが、染料を改良し、地上への影響なども確認して本番に臨んだ。

大役を終えた遠渡隊長は「みなさまに、少しでも空を見ていただく時間をプレゼントできればという思いで、飛行させていただきました。ご声援、ありがとうございました」と感謝。五輪選手に対しても「これまでの準備に費やされた過程に敬意を表するとともに、試合において最高のパフォーマンスを発揮できるよう祈念いたします」とエールを送った。

64年の時は開会式の後半、七万数千人の大観衆が見守る中で見事に描き、世界を感嘆させた。その日、東京はほとんど風もない秋晴れで、五輪マークはしばらくの間、青空にくっきりと浮かんでいた。その伝説をつくり今も健在な当時の隊員2人=黒を担当した3番機の西村克重さんと、赤を担当した5番機の藤縄忠さんはこの日、雲が多かったことを残念がった。西村さんは「雲が多く、大変だったでしょう。頑張りました」、藤縄さんも「気の毒です。もっと天気で飛ばしてあげたかったです」とねぎらっていた。

57年の時を経て都心の空で再び実現したブルーインパルスの5色の飛行。国立競技場に観客はいないが、街のあちこちで目撃した人々の記憶に刻まれ、64年同様に語り継がれていくはずだ。

【この日のブルーインパルス メンバー】

●1番機=隊長・遠渡祐樹2佐(山形県出身)、名久井朋之2佐(青森県)

●2番機(赤)=住田竜大1尉(北海道)

●3番機(青)=鬼塚崇玄1尉(福岡県)、槙野亮2佐(徳島県)

●4番機(緑)=永岡皇太1尉(宮崎県)

●5番機(黒)=河野守利3佐(佐賀県)

●6番機(黄)=真鍋成孝1尉(福岡県)

○…この日、都内の見晴らしのいい場所などには、午前中から人々が集まり、“密”状態になったところもあった。国立競技場に近い新宿御苑は1時間の入場者数が2000人を超え、昼前には一時入場制限に。ゲート前には600メートル以上の行列ができた。国立競技場最寄りのJR千駄ケ谷駅では、電車が到着するたびに通勤ラッシュのようになった。競技場西側、東京体育館の周りの日陰部分は、昼前にはほぼ満員。日差しが降り注ぐ場所も身動きが取れないほどになり、猛暑を我慢しながらその時を待った。あらゆる世代が集まり、関心の高さがうかがえた。飛来すると「かっこいい!」などの歓声やシャッター音が響き、その後大きな拍手が自然にわき起こった。