女子個人総合決勝で、村上茉愛(24=日体ク)が4種目合計56・032点で5位になった。日本女子のエースの幼少期に迫る。

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うれしそうに叫んでいた。「きゃ~!」。3歳の茉愛は、自分の身長の倍ほどの高さから、マットに飛び降りる。それも背中から。「怖いよう」と同年齢の子が嫌がるのに、率先してジャンプ。美容師の母英子さんは「怖いというのがない子。それも体操に向いているな」と様子に見ほれていた。

「も」だったのは、すでに確信があったから。おむつ替えをすれば、股関節の柔らかさは顕著で、何より自分の「分身」だと思っていた。

母が中2の時だった。「絶対に私の子どもは体操が上手」と確信した。中学で始めた体操部で、すぐに側転ができ、柔軟さも優れていた。「私の部屋は4畳くらいでしたけど、しょっちゅう開脚倒立してました」。ただ、中2で気づいた。大会に出ると、優勝する子のレベルは段違い。開始年齢の差を痛感した。「2年間で伸びたけど、これ以上は無理。悔しいなあ。幼稚園からやらせてもらっていたら、いまごろ…。いつか子どもができた時に体操やらせたいなあ…」。

長男が生まれた時にその確信を思い出した。実際、3歳で逆上がりができた。体操クラブに通い始めると、めきめき上手になった。茉愛が生まれた時も、同じだった。年長の運動会では空中で止まらないで連続で前回りを続け、保護者のどよめきが起こった。何より、「私は平均台が怖かった」という母とは違う、物おじしない性格があった。

楽しそうに上達する子どもたちに、体操以外で教えたことがある。「人と同じでなくてもいいと思うよ」。例えば、小学校のお正月の宿題。習字で好きな言葉1つ書くお題。「友情」「愛」「友」などが並ぶ中、母は聞いた。「茉愛ちゃんが欲しいものは何?」「金メダル」。「じゃあ『金』でいいじゃん」「そんな人いないよ」「何でもいいんでしょ、好きな言葉で。金? 銀? 銅?」「じゃあ金で」。大人がお金と誤解しても、人と違うことを良しとした。母も昔、同じような課題に「ファイト一発」と書いたことがあったから。

小6で床運動の大技シリバスを決めた娘は、体操でもどんどん人と違うことを楽しんだ。今はトレードマークのショートカットもそう。世界選手権でも「日本人初」を刻み、他と同じではない結果を残し続けた。

「茉愛」と書いて「まい」。その由来は「そもそも、『舞』でもなく『麻衣』でもなく、人と違う漢字を使いたかった。茉莉花(じゃすみん)の茉で、かわいいなと」。名は体を表す。人とは違う体操を求め続け、娘は2度目のオリンピックを舞った。【阿部健吾】