若き王者が王道の一歩を刻んだ。個人総合を五輪史上最年少で制した橋本大輝(19=順大)が種目別鉄棒で15・066点をマークして2冠を達成した。個人種目での2つの金メダルは84年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司以来37年ぶり。内村航平(32)から日本のエースの座を引き継ぎ、24年パリ、28年ロサンゼルスと3連覇を目指す道のりが始まった。

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その放物線は、王者の証明だった。「ズドン!」東京五輪の体操競技を締めくくる鉄棒の演技で、橋本が後方伸身2回宙返り2回ひねり下りでマットに降り立った。微動だにしない。力を解放するように手を突き上げ、勝利を確信した。「最後は絶対に着地勝負になると思ったので、気持ちを引き締めて止めにいった」。得点を確認すると「よし!」と拳を握った。

8人による決勝。予選1位、何より7月26日の個人総合で新王者となったばかり。直前の選手が14・900点を出し、「完璧に決めないと勝てない」と期した。冒頭にG難度「カッシーナ」とE難度「コールマン」を決め、連続のトカチェフを乗り越えると、後は栄光のフィナーレへ。1つ後の最終演技者が終わり2冠が決まると、日の丸の旗を巻いた。

感謝の気持ちがあった。「内村さんにメダルを」。種目別の鉄棒に専念した偉大な先人は、予選で落下し五輪を去った。4月の全日本選手権の予選、7位に沈んだ直後、「決勝に切り替えれば大丈夫だから」と声をかけられた。驚きとうれしさがあった。その言葉に背中を押され、決勝で逆転優勝して代表入りに前進し、この日につながった。

実はそれまでは、近づくことさえためらう存在だった。「話しかけるなんて無理。よく丈琉は聞けるよ」と1歳下の北園をうらやましがった。幼少期から遠征に行けば、「この人に教わりたいな」という目的の技にたけた選手に近づき、教えを請うた。「どうやってやるんですか?」。物おじしないで聞ける。それが成長の源だった。その橋本が、内村だけは別格だった。それが「大丈夫だから」のひと言で壁がなくなった。今大会前にもさまざまな助言をもらっていた。

内村が鉄棒に出ていれば、間違いなく金メダルを手にしていたと確信する。だから、「早く追いついて、越せるように頑張りたい。僕はやっとその(王者の)土俵の一段目を上っただけ」と見据える。

夏に輝くという理由で「大輝」と名付けられ、7日で20歳を迎える。「10代最後の週にいろいろなプレゼントを、自分で自分にあげることができた」。その1つは、橋本だけに許された絶対王者への階段を上がる権利だろう。【阿部健吾】

◆橋本大輝(はしもと・だいき)2001年(平13)千葉県成田市生まれ。6歳で競技開始。中学まで世代別代表経験なし。高校入学後に急成長。千葉・市船橋高3年だった19年世界選手権で団体総合銅。20年順大入学。今年の全日本選手権とNHK杯で初優勝。166センチ、57キロ。