女子48キロ級で17年世界女王の渡名喜風南(25=パーク24)は、銀メダルだった。今大会の日本初メダルとなり、夏冬合わせ五輪通算500号となった。

世界ランキング1位のクラスニチ(コソボ)との決勝では残り20秒で技ありを奪われ、04年アテネ五輪の谷(旧姓田村)亮子以来となる頂点はならなかった。

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あと1勝に泣いた。渡名喜はクラスニチとの決勝で敗れ、畳を下りると号泣。床にうずくまって現実と向き合った。ヤマ場の1つだった準決勝では18、19年世界女王で過去1勝4敗のビロディド(ウクライナ)を撃破。コロナ禍での成長を示しただけに「最後に自分の弱さが出てしまった。この負けを認めていきたい…」と言葉を詰まらせた。

五輪を強く意識したのはリオ五輪だった。帝京大3年時に東京・修徳高時代に対戦した同学年の近藤亜美さんが銅メダルを獲得し、自分も「本気で五輪を目指したい」と考えた。初出場した17年世界選手権を制したが勝ちきれない時期も続き、「安定感」を追求して心技体を磨いた。19年1月には単身でモンゴルへの武者修行を敢行。13年世界女王のムンフバットら代表選手とモンゴル相撲で組み合い、氷点下30度の中で山を駆け上がって課題の体幹を強化した。ムンフバットからは「肉を食べないと強くなれない」と勧められ、苦手だった牛肉を「好物」と言えるまで食べる“肉食女子”に変貌した。

高校時代の恩師で、現役時代は五輪5大会連続出場の田村亮子さんと争った北田佳世さんは、トップ選手には珍しい「聞く耳を持っている」と評価。トレーナーや栄養士からの助言も参考に、試合前後の食事時間や量を管理するなど調整方法も微修正した。

今でも忘れない言葉がある。不調な時期に母から送られた座右の銘の「死ぬこと以外かすり傷」を胸に刻む。今大会では日本金メダル1号の重圧も懸かる中、「自分は自分」とマイペースを貫いた。「積み上げてきたことは間違っていない。自分を信じてしっかり前に進みたい」。夢実現は3年後の24年パリ五輪に持ち越しとなった。【峯岸佑樹】

▽00年シドニー、04年アテネ五輪女子48キロ級金メダルの谷亮子さん 渡名喜さんは悔しさもあると思うが、メダルを取れたことは良かった。落ち着いて試合はできていたし、今日は寝技に磨きがかかっていた。頑張ってくれたと思う。