18年世界選手権女子57キロ級覇者で初出場の芳田司(25=コマツ)が、銅メダルを獲得した。準決勝で敗れ、3位決定戦でリパルテリアニ(ジョージア)に合わせ技で一本勝ち。幼少期に培ったスタミナを武器に頂点を狙ったが、得意の内股を警戒されて涙をのんだ。同階級では3大会連続のメダルとなった。

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初出場の芳田は銅メダルを獲得しても笑顔はなかった。畳を下りてぼうぜんと取材エリアに向かい、開口一番「悔しい…」と唇をかんだ。続けて「金メダルを目指していたので悔しい。まだまだ力が足りていない」と言うと、必死に我慢していた涙がこぼれた。

転機は5年前。同じ所属で16年リオデジャネイロ五輪女子63キロ級代表の田代未来の付き人で現地へ同行。五輪の殺気を初めて感じつつも「私もこの舞台に立ちたい」と東京五輪を意識するようになった。12年ロンドン五輪金メダルの松本薫さんが19年に引退後は、次世代のエースとして57キロ級を背負って立つ存在に成長。得意の内股を武器に安定した力を発揮した。

幼少期はけんかっ早く怪力だった。バレエや水泳も習っていたが、母千代さんの「ひらめき」で柔道を8歳で始めた。小学校6年間は毎朝6時から1時間以上、ラグビー経験者の父善英さんと姉優さんと京都御所を約4キロ走るのが日課。京都府のマラソン大会で優勝するほどの実力で、強靱(きょうじん)の足腰と無尽蔵のスタミナがその後の柔道人生でいきた。福岡・敬愛高の恩師、吉元幸洋さんも内股で重要な「瞬発力がピカイチだった」と述懐する。

トップ選手には珍しい気が小さい性格で、闘志を内に秘めるタイプ。コロナ禍の自粛期間中は自宅で友人からもらった横笛を吹いて五輪1年延期の気持ちを紛らせた。日本女子として2大会ぶりの頂点を目指して臨んだ初の夢舞台。「悔しい」。この言葉を何度も繰り返して挑戦が終わった。【峯岸佑樹】