追加種目の空手が、五輪で初めて実施された。最初の決勝種目となった女子形で、清水希容(27=ミキハウス)が、銀メダルを獲得した。決勝でライバルのサンドラ・サンチェス(スペイン)と対戦。ともに「チャタンヤラクーサンクー」を選択した。清水は27・88点で、相手に0・18点、及ばなかった。女子形のシンボルとして負けられない不安にとらわれてきたが、真夏の東京で輝いた。

清水の目から涙が、こぼれた。「やっぱり、ここまでくるのにすごくしんどかったので。ここで勝ちたかったですけれど、悔しいです」。決勝に気持ちが焦り、呼吸が乱れて、僅差で敗れた。「もっといい演技でできたかと。ただ自分を褒めてあげたい。今日は自分という『形』を打とうと思った」と涙声で言った。

18年世界選手権で3連覇を阻止されたサンチェス。それ以降は、いつも2人で決勝を争ってきた。しかし昨年1月のプレミアリーグ・パリ大会では太もも裏を痛めたこともあり、2年ぶりに決勝進出を逃した。

ショックな敗戦は続いた。コロナ禍により久々の試合となった昨年12月の全日本選手権では決勝でまさかの敗北。「ただただ悔しい」。8連覇を逃して「このままでは勝てない。自分のなかで『負けてしまうのでは』という思いが強くある。そこを払拭(ふっしょく)しないと」。日本代表の古川哲也コーチは、「負けられないという思いが強すぎて体が萎縮してしまっていた」と分析した。

16年に空手が追加された。清水は、女子形のシンボル的な存在となり、競技を広める役割を担った。負けられない重圧も背負った。「結構、ネガティブな部分も多い」という。年に1回はある起業家の自己啓発本を読む。関大時代は「ご飯にいこう」と誘われても「私、練習に行くわあ」と遊びにいった記憶がない。「形と結構重なる」とフィギュアスケートを観戦するなど勉強家。「日本の代表として、負けてはならない。最近5年間は勝ち負けを気にして自分の演技ができない」。心が苦しくなった。

状況を打破すべく訪れた先は沖縄。2月から4カ月ほど、男子形で無敗を続ける喜友名らと練習した。王者の隣で汗を流し、気迫を前面に出す練習を重ねることで、吹っ切れた。「非常にプラスになった。喜友名先輩と練習できたことは良かった」。空手発祥の沖縄、その空気に救われた。

「やっぱり金メダルがよかったな。この5年間、空手競技で五輪に立てる。夢のようなことだった。立つまでは苦しかったが、立ってしまえばやるだけだと思ってできた」。清水の五輪は、終わった。次は世界選手権での金メダル奪還を目指して、日々の精進を続ける。【益田一弘】