5人による総当たり戦の予選A組で、植草歩(29=JAL)は2勝2敗にとどまり、上位2人に入ることができず準決勝進出を逃した。

最後の試合を終えた後に植草は、「この舞台で、オリンピックでの初めての空手をできて幸せに思う」と涙を流した。大会前、ここまでの道のりの答え合わせをしたいと話していた。それについて問われると、「これが実力。一緒に練習してきてくれた方たちのために勝ちたかった。申し訳ない」と話した。

空手の広報活動にも積極的に取り組んできた。「表に出るようになって、最初は実力が伴っていないのでは、キャラクターだけで走ってしまっているのではないか、と苦しかった」と振り返る。それでも「言葉の力や応援してくれる方々の力が私を強くしてくれ、この舞台に立たせてくれた。ここまで培ってきた者は、自分にたずさわってくれた全員のおかげ。すばらしい空手人生を送ることができた。コロナ禍でもいろいろな方のおかげで開催できたことを感謝している」と実感を込めた。

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空手界の看板娘として、自身の技術鍛錬のみならず、競技の魅力を伝える役割にも積極的に取り組んできた。空手界の悲願だった五輪正式種目採用に向けた活動にも関わり、男子形の喜友名諒とともに正式種目入りをアピールするポスターのモデルにも起用された。

当初は大学卒業後は競技者としての一線を退き、教師になる道を選ぶつもりだった。しかし空手のPRイベントで連盟スタッフに頼まれ、「夢の舞台で優勝する」と軽い気持ちで口にしたことがきっかけで、東京五輪での金メダルを本気で目指すことになった。

社会人となり、15年全日本選手権で初優勝。その翌年には世界選手権も制した。メディアからの注目を力に変え、世界中の猛者が集うプレミアリーグでは3年連続年間女王の座を獲得した。得意の中段突きを武器に快進撃。対策を研究された近年は、蹴り技の技術向上にも取り組んできた。

五輪直近では、約1年2カ月ぶりの国際大会となった5月のプレミアリーグ・リスボン大会で、2試合目の3回戦で敗退。コロナ禍を経ての最初の実戦だった昨年12月の国際大会でも、初戦の2回戦を辛勝した後の3回戦で敗退していた。

さまざまな経験を重ねながら、ついに立った東京五輪の晴れ舞台。「最高の準備をして、最高の金メダルを取りたい」。その目標には手が届かなかったが、全力で戦い抜いた。

◆植草歩(うえくさ・あゆみ)1992年(平4)7月25日、千葉県生まれ。JAL所属。千葉・柏日体高(現・日体大柏高)から帝京大卒。16年に世界選手権を初制覇し、18年は2位。体重無差別で争う全日本選手権は15~18年に女子初の4連覇を果たした。世界最高峰のプレミアリーグでは17年から3年連続で年間王者に輝く。そのルックスから「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」と呼ばれたことも。カラオケでは山本リンダの「狙いうち」を熱唱する。168センチ、68キロ。