ソフトボールに「驚異の二刀流」がいる。日本女子リーグ1部太陽誘電の藤田倭(やまと=26)は今季、投手として最多勝に輝き、打者として本塁打と打点の2冠を獲得。チームを昨年の7位から2位に引き上げ、今季の最高殊勲選手賞も初めて受賞した。日本ハム大谷翔平(22)の活躍で一気に注目された「二刀流」。08年北京大会以来の実施が決まった20年東京五輪へ、日本ソフトボールを投打に引っ張る藤田に聞いた。【取材・構成=荻島弘一】

  ◇  ◇  ◇

--MVP受賞おめでとうございます。投打で3冠と素晴らしい活躍でした

藤田 優勝チーム以外から選ばれたことがなかったので、まさかという感じですね。最多勝は狙っていたのでうれしい。本塁打も最終戦で決めることができたので満足です。ただ、打点は1人では取れない。助けがないと。チームメートに感謝したいですね。

--リーグ戦終了後に手術を受けたそうですが

藤田 右肘の遊離軟骨を除去する手術です。今年5月のビックカメラ戦で痛めました。前半は10勝できましたが、後半は4勝だけ。登板の前日までノースローでいるなど、調整がうまくいかなかったところはあった。手術して、1週間入院。まず体を動かすことから始めています。1月には投げられると思います。

--大谷選手の活躍もあって、二刀流に注目が集まっています

藤田 うれしいですね。ソフトボールにもいるよ、ということが知ってもらえれば。まだまだ競技としての知名度はないから、いい機会だと思っています。それを生かすのは、自分しかできない。日本リーグでも両方で結果が残せているのは自分だけですから。

--数字だけだと、大谷選手を超えていますね

藤田 いえいえ、野球とソフトボールは違いますから。私と比べたら大谷選手に失礼ですよ(笑い)。試合はよく見ていますが、あの若さであれだけのプレーができるのは本当にすごい。尊敬しているんです。

--二刀流になったのは、いつからですか

藤田 太陽誘電には投手として入りましたし、最初はピッチングに専念していました。バッティングは3年前に(山路)監督に「打ってみたら」と勧められてからです。今は、やって良かったと思っています。

--肉体的にも精神的にも負担になりませんか

藤田 ないですね。練習はピッチングがメイン。それが行き詰まった時などにバットを持ちます。バッティングがピッチングにいい影響を与えることもありますし、逆もあります。体の使い方も違うので、気分転換にもなりますし。

--今年の成績で、今後はさらに期待されますね

藤田 今年に恥じないくらいはやらないと。右肘の不安もなくなって、思い切りできると思うんです。結果にはこだわりたい。特に最多勝は毎年とりたい。バッティングは賞よりもチャンスで打てる勝負強い選手になりたいんです。投打で中心となって、チームを優勝させたい。それが、来年の目標ですね。

--目標とする選手は誰かいますか

藤田 私、日本ハムが好きなんです。中田選手の大ファンです。自分がやらなければ、自分が試合を決めてやる、そんな思いが伝わってくる。困難に正面からぶつかる姿、かっこいいなと思います。バッティングも参考にしています。

--今年8月には東京五輪での実施も決まりました

藤田 (08年)北京大会はテレビで見ていて、すごいなあと思ったのは覚えています。まだ高校生だったので、五輪からなくなるという実感もなかった。それでも、復活できたのは大きいですね。強化費の少なさも改善されると思うし。

--東京五輪は29歳、ちょうどいい年齢ですね

藤田 あまり先のことは考えず、1年1年戦っていくタイプなので。目の前のことを見落としたくない。常に必死にならないと。ただ、頭のどこかに五輪はあります。それまで、しっかり体を作り、投打ともにレベルアップしたい。その努力の先に、4年後があったらいいと思っています。

 

◆藤田倭(ふじた・やまと)1990年(平2)12月18日、大阪府生まれ。5歳の時に兄の影響でソフトボールを始め、長崎・佐世保崎辺中から佐賀女高に進学。1年の時に高校総体で優勝した。09年に山路監督に誘われて太陽誘電入り。2年目からエースとして活躍し、12年に日本代表に初選出。二刀流となった14年に日本リーグ1部最多勝に輝いた。165センチ、72キロ。

 

○…本家二刀流、日本ハム大谷も女子ソフトボール界の仲間の活躍を喜んだ。自身は今季、日本最速165キロをマークし日本一に貢献。初の最優秀選手(MVP)に輝き、ベストナインでは史上初の投手と指名打者部門のダブル受賞を果たした。藤田とは面識はないというが「すごいんじゃないですか」と賛辞を贈った。