大阪・松原中の2年生が、大偉業を成し遂げた。ストリート女子の西矢椛(もみじ、13=ムラサキスポーツ)が予選上位8人による決勝で15・26点(40点満点)で金メダルを獲得した。13歳10カ月26日でのメダル獲得は、1992年バルセロナ大会競泳女子200メートル平泳ぎで優勝した岩崎恭子(14歳6日)を抜き、日本史上最年少記録を更新した。男子の堀米に続き、ストリート種目で日本勢がアベック優勝した。

メダル獲得の喜びの涙。予選2位で決勝に進んだが、序盤は振るわなかった。「途中までは勝てないと思っていたけど、まわりの人が励ましてくれて」と、1発の技で競うベストトリックの後半に巻き返した。

一気にお茶の間にも浸透しつつある「ヤバい(=難易度が高く、驚異的な)トリック」を連続してメーク(=決めた)。3本目で思わずガッツポーズが飛び出す大技で4・15点と高得点。続く4本目は4・66点とさらにスコアを伸ばし、予選1位の中山らライバルたちを引き離した。

コロナ禍で、基本的に無観客となった今大会。家族さえ観戦できないが、会場には付き添いで特別に入場が許可された母智実さん(39)がいた。18歳以下に着用が義務付けられたヘルメットをかぶったまだ13歳の中学2年生。保護者が必要なほど若い。だからこそ歴史的瞬間を母子で共有できた。コーチは付けず、母が見守る中で練習してきた。目撃者となり、ともに戦ってきた母は「(一時)ミスが続いたので、気持ちの整理ができるかすごい心配だった。最後まで滑り切れて良かった」と喜んだ。

世界最高峰の大会の1つ、Xゲームで19年に初出場ながら2位となるなど、ここ1、2年で急激に台頭。母はじめ、熱心な家族らのサポートが大きかった。父翔さん(39)や兄で高校1年になった颯(はやて)さんに連れられ、競技を始めたのは5歳の頃。直接指導を受け、SNSやネット上の動画も教えてもらって、教材にした。今もサポートを受けている。家族はスケートボードのカルチャーなのか、楽しくやっていれば、それで良いと温かく見守ってきた。

モットーの「笑顔で楽しく滑りたい」の言葉も、父や兄から教わった。「笑顔にしていれば、何か良いことがあるかもしれないから」と胸に刻む。5歳の時から大事にする心がけを守り、金メダルを引き寄せた。スケートボードは今も「遊び」。大会で成績を残すと、母にご褒美をねだるのが恒例。メダルを取ったら「焼き肉を食べたい」をねだるつもりでいたが、初代女王には焼き肉ともう1つ、“ヤバい”目標ができた。

競技後、今後の目標を問われ「世界で知らない人がいないくらい、有名になりたいです。パリオリンピックにも出て優勝したいです」と言い切った。24年パリ五輪で連覇を目指すが、さらなる偉業を成し遂げてもまだ、その時は16歳。無限の可能性と未来が広がっている。【平山連】