日本勢がワンツーフィニッシュした。予選4位の四十住(よそずみ)さくら(19=ベンヌ)が、決勝で60・09の最高スコアをマークして金メダルを獲得した。予選3位で開心那(12=ここな、=WHYDAH GROUP)が59・04で銀メダル。12歳11か月でのメダル獲得で、今大会のストリート女子金メダリストの西矢椛(13歳10か月)を抜き、日本人史上最年少メダリストになった。予選1位の岡本碧優(みすぐ、15=MKグループ)は53・58で4位となり、惜しくも日本勢の表彰台独占を逃した。日本人の母親と英国人の父親を持ち、宮崎県で生まれ育った13歳のスカイ・ブラウン(13=英国)が56・47で銅メダルを獲得した。

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五輪予選ランキング1位の岡本碧優は53・58点で4位だった。逆転を狙った最後の試技では大技「540」を決めるも、空中でボードを1回転させる「フリップインディ」に挑戦し着地に失敗。演技終了後には涙を見せて悔しさを浮かべた。その姿に、他のスケーターたちが歩み寄り、健闘をたたえた。

「最後のフリップインディが乗れなくて、とても悔しいです」。他のスケーターたちから健闘をたたえられたことには「とてもうれしかったです」と感謝した。初めての五輪については「とても大きい舞台でしたが、他の世界大会と同じくらい緊張しました」。終始、泣きながら試合を振り返った。

大会が1年延期したことに影響を受けてしまったと明かした。「コロナで1年延期になった時、自分の気持ちに負けて、だらだらしてしまった部分がすごく大きくて。それが今回にもつながったんだと、コーチにも言われて。自分もそう思っています。そこを埋められるように、もっとちゃんと練習を頑張ろうと思いました」。

今後については「みんなにあこがれてもらったり、応援してもらったりとか、好かれる選手になりたいです」と前向きに話した。

遊びの中で育まれた自由さが売りのスケートボードにおいて、岡本の競技への取り組み方は異質だ。兄の影響で小2で始め、小6の冬に大きな決断をした。パーク男子の笹岡建介(22=MKグループ)の実家に下宿することを選んだ。

兼ねてスクールで教わっていた縁で、弟子入りを懇願。岡本は「世界で活躍できる選手になりたくて。私も親もあまりスケートボード知らないけど、笹岡家に行けばみんな知っていたから」と話す。笹岡家と交わした下宿の条件は、当時女性選手では誰も決めたことなかった「540」を小学校卒業までに成功すること。それを見事クリア。大技を持って国際大会に臨み、延期前の五輪選考を兼ねた大会では4連勝した。

波に乗っていた矢先、新型コロナウイルスの影響で大会が1年延期になった。岡本は「モチベーションが下がり、コーチの言うことを聞けなかった。怖い技や痛い思いをしたくないと思いました」。目標を失い練習の身が入らなかった。

五輪選考最終戦の「デューツアー」ではライバルの四十住や英国のスカイ・ブラウンに自分の代名詞だった「540」を決められた。差が縮まった。認めざるをない状況で、それまで抱いていた慢心は消えた。

この日の予選では3回の試技でいずれも「540」決め、全体トップ通過。ノーミスで決勝に進んだ。決勝でも世界女王は逆転を狙って、難易度の高いトリックを次々と成功させたが、表彰台には一歩届かなかった。