東京五輪で、男子サッカーは、またもメダルに手が届かなかった。世界への可能性を示した1次リーグ、世界の高い壁を痛感したトーナメントなど、日本は2つの顔をのぞかせた。日本サッカー協会の田嶋幸三会長(63)は、今大会をどう感じたか。来月から始まるW杯カタール大会アジア最終予選、来年のW杯本大会、さらにはその先へ、どうつないでいくのか。【取材・構成=盧載鎭】

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東京五輪へ、日本は4年間の長期計画で準備を進めた。A代表はベテランと若手を融合させ、成長を促し、五輪年代は世界各大陸のチームとの対戦を組み、経験を蓄積させた。

田嶋会長 賛否はあったが、森保監督にAと五輪の両方を任せたことが大きかった。変な選手の引っ張り合いもなく、Aも五輪も長期計画で強化できた。久保や堂安はAでもなじんでいるし今後、今回のメンバーからA代表にも多く入るだろう。10年以上前に、オシムさんが監督をやったころ「ポリバレント」を強調して複数ポジションをこなすことを要求したが、実は当時はそれができる選手があまりいなかった。でも今は板倉、橋岡、旗手、中山らほとんどの選手がポリバレントできている。

-マッチメークも含め、4年計画の強化ができた。

田嶋会長 過去のW杯を振り返った時、日本は南米とアフリカ勢に苦戦している。これを克服することが大事だと思った。コロナで実現はしなかったが、一昨年は南アとコートジボワールと試合を組んだし、実際、昨年秋にはA代表が欧州でメキシコ、コートジボワールと対戦している。19年には若手主体で南米選手権にも出場した。実はその時、U-20W杯と時期が重なり、MF久保やGK大迫をどこに入れるかなどで、協議した記憶があるが結局、彼らは南米選手権に派遣した。そういう経験が今につながったと思う。

-森保監督の兼務で、世代交代がスムーズに進んでるとも言われている。

田嶋会長 過去「中沢-闘莉王が引退したら次どうする?」など言われたことがある。でもちゃんと吉田が続けてくれたし、冨安が育って力を伸ばした。普段から欧州で貴重な経験を積んだことで、今大会は慌てることなく守備ラインをまとめてくれた。今後、長友や酒井も一線を退く時期は来るはずで、今回の五輪で若手が確実に伸びていることを証明してくれた。他の全ポジションでも同じことが言える。

日本は93年にJリーグが開幕し、98年フランス大会でW杯初出場を果たした。今回の代表メンバーは、生まれながらにそういった歴史から刺激を受けた世代だ。今後、東京五輪を見てサッカーに出会った選手が育つことも十分期待できる。

田嶋会長 個人の経験からすると、私は64年東京五輪を実際に見に行ってサッカーと出会った。68年メキシコ五輪はリアルタイムでサッカー中継を見た記憶はないが、ダイジェストなどを見てサッカーにあこがれた。今回の地元五輪で、サッカーに出会った少年少女、あこがれた子供たちは多いと信じている。これから10年後、20年後にはその「東京五輪キッズ」が、日本サッカーを引っ張ってくれることを祈っている。