大橋悠依(イトマン東進)が夏季五輪の日本女子で初めて、1大会で2つの金メダルを獲得した。最初の金メダルを獲得した400メートル個人メドレーから5日連続のレースとなった200メートル個人メドレー決勝の大接戦を、2分8秒52で制した。自分に自信が持てなかった25歳が涙の金メダルから3日後に、2個目の金を笑顔でつかんだ。1928年アムステルダム大会で陸上の人見絹枝が夏季五輪に日本女子として初めて出てから93年。大橋が金字塔を打ち立てた。

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もう涙はない。大橋が、大きく目を見開いて手を上げた。スタンドの仲間にピースサインを送り、ぺろりと舌を出しておどける。「夢みたい。(2冠は)本当に自分がやったことなのかなという感じ」。

200メートル個人メドレー決勝。準決勝5位通過で2レーンで冷静にレースを観察して進めた。「すごい接戦になると思った。最後の自由形は死ぬ気で泳ごう」。水中で3度、隣を見て「やばい。負けるかも」とラスト5メートルは息継ぎなしを敢行。2位と0秒13差の大接戦を制した。400メートルの涙とは対照的に満面の笑み。「4個メは苦しんだ分、込み上げるものがあった。今日はすごく自信もあったし、楽しんでできた」。平井コーチは「400メートルの決勝前はがちがちの顔。今日は『いってきまーす』。全然違うんだから」と苦笑いで、祝福した。

「たくさんの人に迷惑、心配をかけた。やっぱり一番は、平井先生かな」

自分に自信がなかった。平井コーチに誘われて東洋大に入学。しかし当初は練習についていけなかった。平井コーチは「昔は反対ばかりして『デモ隊』と呼んでいたこともある」。極度の貧血もあって15年日本選手権で最下位の40位も経験した。子どもにサインをねだられても「いえいえ、私はそんなに強い選手じゃないので」と書けなかった。

誰かに認めてほしかった。ライバル選手に嫉妬して、ぷいっとしゃべらなくなる。好調時の自分の映像で見て「こんなのできない」と涙が出る。昨冬、衝突し1度は平井チームを離脱した。「東京にいてもしょうがないので、地元(滋賀)に帰ります」と平井コーチに訴えた。「それがいいだろう」と、いざ送り出されると寂しくなった。

「本当に迷惑をかけた。『何だ、こいつ』と何度も思ったと思う。私も『何で?』と思うことはあった。でも平井先生は自分を受け入れてくれた。高校生の時に、先生に拾ってもらってよかったな」と感謝した。

大会前は「めちゃくちゃ良くて終わるか、全然ダメで終わるか。どっちか」と自信はなかった。それがレースのたび、勢いに乗って2冠達成。「本当に自分が史上初なのか。実感がなくてびっくりしている。競泳は北島康介さん(2大会連続2冠)がいるが、女子で2冠ができたのはうれしい」。かつて1人で試合会場からとぼとぼ帰っていたスイマーが、ひまわりのような顔で笑った。【益田一弘】

◆日本選手の五輪同一大会複数金メダル 日本女子では大橋悠依が夏季五輪初。冬季では2018年平昌大会のスピードスケートで高木菜那が2種目で優勝している。夏季の男子では68年メキシコ大会の体操男子で中山彰規が団体総合とつり輪、平行棒、鉄棒の計4個を獲得したのが最多。体操は16年リオデジャネイロ大会の内村航平(団体総合、個人総合)まで14例(同一大会4個1回、3個4回を含む)あるが、他は競泳が北島康介らで3例あるだけ。冬季男子は98年長野大会ノルディックスキー・ジャンプの船木和喜がラージヒルと団体で獲得したのが唯一。

◆大橋悠依(おおはし・ゆい)1995年(平7)10月18日生まれ、滋賀県彦根市出身。草津東高-東洋大。世界選手権は初出場した17年に200メートルで銀メダル、19年は400メートルで3位。今大会は400メートル個人メドレーでも優勝。イトマン東進所属。174センチ、57キロ。