レスリングの男子グレコローマンスタイル60キロ級で文田健一郎(25=ミキハウス)が銀メダルを獲得した。決勝でオルタサンチェス(キューバ)に1-5で敗れた。

世界王者として臨んだ大一番。グレコの日本勢では84年ロサンゼルス大会の宮原厚次以来、37年ぶり5人目となる世界の頂点を狙ったが、最後に壁に阻まれた。

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がっくりと両手を膝に付き、うなだれた。文田は6分間、得意の投げ技につながる勝機を探し続けたが、最後まで崩せなかった。「研究して徹底的に自分の形をさせてもらえないのは分かっていた。その上をいけなかった自分の実力不足だと思います」。マットを下りると号泣した。

懸命に信念を貫こうとした。「投げを狙っていたんですけど、結果下がった形になり、押し込まれた」。場外に2回押し出され失点を重ねた。執ように手を押さえられ、投げにつながる糸口がなかった。

その昔、練習中に「ファンタ」を飲んでいた。父俊郎さん(59)が今も指導する韮崎工高の道場で、小学生の文田はグレープ味を味わっていた。「毎日嫌だなと思っていた」。同学年の女子が父の指導を受けたいと望み、その相手に連れ出された。未経験で興味はない。中学でもう1人女子が増えたが、サボることばかり考えた。不真面目そのもの。逃亡もした。「チョコパイ買ってあげるから」「パフェ食べさせてあげるから」。父は引き留めに必死だった。

気持ちが動いたのは1つの映像だった。道場のテレビデオで父が見せたのは、世界の投げ技集。日本のグレコは相手の脇に手を入れて差して押すのが常道だったが、「キン肉マン同士の押しくらまんじゅうを見ててもつまらんでしょ。『投げてナンボ』なんです」が信念。いつか息子に…。ボードにはイラン人が見事な反り投げを決める一枚を貼りつけた。「洗脳かもですが(笑い)、すごかったんです」。息子はついに宣言した。「レスリングやります」と。

日本では全身を攻撃できるフリーが主流で、足が狙えないグレコは陰に隠れていた。ただ、投げる快感には環境は関係なかった。貫いてきた「投げてナンボ」の信念を、あとは発揮するだけだった。

「まだ、父から教わった、投げるレスリングを世界に通用させられていないので、3年後はそれを通用させて、世界一ということをみせたい」。気丈に話した。そして、宣言した。「投げしかないので、自分は。これからもやめる気ないです」と。【阿部健吾】

<文田健一郎(ふみた・けんいちろう)>

▼生まれ 1995年(平7)12月18日、山梨県生まれ。

▼戦績 韮崎工高では高校グレコ選手権3連覇。世界選手権では17年に日本勢のグレコで83年の江藤正基以来34年ぶりの優勝。19年では決勝進出で東京五輪代表を決め、優勝。

▼猫 無類の猫好きで、いつも猫カフェに3時間滞在する。スコティッシュフォールドと、マンチカンが好み。練習で使う水筒も猫のイラスト。写真家の岩合光昭氏に「どうやったら猫がうまく撮れるか」と取材

▼目立ちたがり屋 高3の学園祭では、クラスでダンスの出し物があったが、練習でほとんど不参加にもかかわらず、乱入。目撃した担任の雨宮先生は「最後にバーンって飛び込んで、一緒に踊り。で、最後は上半身を脱いで」と証言。

▼五輪 父の教え子だった米満達弘の応援で12年ロンドンへ。祖母にねだって50万円の旅費を出してもらう。会場で優勝を見届け、メダルにもタッチ。

<文田の試合経過>

◇第1P

4秒 オルタサンチェスが文田を場外に出して1得点

2分13秒 文田の消極的姿勢でオルタサンチェスが1得点

2分31秒 オルタサンチェスが文田の肩をマットに90度以上近づけて2得点

◇第2P

51秒 オルタサンチェスの消極的姿勢で文田が1得点

1分18秒 オルタサンチェスが文田を場外に出して1得点

 

◆グレコローマンスタイルとフリースタイル フリーは攻防に全身を使えるが、グレコは下半身を使うことが禁じられる。タックルなど足への攻撃が主な武器となるフリーに対し、グレコは投げ技が中心。歴史的には「ギリシャ・ローマ」が語源のグレコの方が古いが、米国などではフリーが盛ん。日本でも若年層はフリーが主で、グレコは大学から本格的に取り組む選手が多い。五輪や世界選手権の女子はフリーのみで争われる。