【直撃】なぜ吉田輝星は鎌ケ谷のマウンドに立っているのか/3回連載〈1〉春先の誤算

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」。今回は、2月中旬に公開した日本ハムの期待の右腕・吉田輝星投手(22=金足農)の続編として、5月中旬に吉田投手をファームで取材した模様を3回に分けてお送りします。

プロ野球

◆吉田輝星(よしだ・こうせい)2001年(平13)1月12日、秋田県潟上市生まれ。小3から天王ヴィクトリーズで野球を始める。金足農では1年夏からベンチ入り。3年夏は、秋田大会から甲子園準決勝まで10試合連続完投勝ち。決勝では大阪桐蔭に敗れたが、金農旋風を巻き起こした。大会通算62奪三振は歴代6位。U18アジア選手権日本代表。18年ドラフト1位で日本ハムに入団。4年目の昨季は、主に中継ぎとして51試合に登板し2勝3敗5ホールド、防御率4・26。今季推定年俸2000万円。175センチ、84キロ。右投げ右打ち。

今年2月2日、沖縄・名護キャンプ以来の対面となった田村氏と日本ハム吉田。築いた信頼関係は変わらず、腹を割ったやりとりになった。写真は名護でのインタビュー後、和やかな表情で

今年2月2日、沖縄・名護キャンプ以来の対面となった田村氏と日本ハム吉田。築いた信頼関係は変わらず、腹を割ったやりとりになった。写真は名護でのインタビュー後、和やかな表情で

◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

3月にファーム落ち

2018年のドラフト1位として日本ハムに入団し、今年はプロ5年目です。昨シーズンは主に中継ぎとして51試合に登板。その経験を踏まえて、今季は先発として2ケタ勝利を目指す飛躍のシーズンという位置付けでした。

3月にファーム落ちして、そこからは地道なトレーニングを継続しながら、歯車が狂ってしまったフォームなど基本動作の見直しに取り組んできました。今回、ようやく復調の兆しが見えてきた吉田投手に率直な気持ちを聞きました。第1回は、苦しんだ春先の誤算について聞いています。


5月11日、対DeNA戦(鎌ケ谷)で先発した吉田は4イニングで61球を投げ、2安打2失点(自責0)というピッチング内容だった。2月2日以来、3カ月ぶりの取材となったが表情は明るく、ここまで思うようなピッチングができなかった暗さは見えなかった。

5月11日、鎌ケ谷

5月11日、鎌ケ谷

田村氏久しぶり!

吉田お久しぶりです。

田村氏今日は久しぶりの先発かな? どんな感じですか?

本文残り63% (2504文字/3988文字)

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。