横浜FCの三浦知良選手が8月12日のルヴァン杯1次リーグ第3節のコンサドーレ札幌戦に先発出場し、自身の持つ最年長出場記録を更新した。

53歳という年齢の出場。しかも、8月5日の同第2節のサガン鳥栖戦に続く2試合連続先発出場で約60分間プレーしたこと、そして相手ゴールへと迫るビッグチャンスも演出した。

札幌戦の前半14分のシュートは惜しくもゴールから外れていった。残念に思う人もいたと思うが、53歳になる大ベテランのレジェンドですら緊張して力んでしまうくらい、ピッチは最高に興奮する舞台なんだと改めて感じた。

僕は三浦知良選手との面識はほとんどない。ただ、僕にとって三浦知良選手は憧れの人だった。僕が高校生のときにブラジル留学をしたのは、間違いなく三浦知良という人が存在したからだ。

当時の僕は中学3年生の15歳。サッカーマガジンに載っていたブラジル留学の記事を見て、資料を勝手に取り寄せて、それを握りしめて、親に「ブラジルに行きたい」となんの前触れもなく懇願したのを覚えている。親は、その場でその資料を破り捨てて、僕の夢はゴミ箱へと消えていった。 そこから2年後。僕は捨てきれない夢を追いかけ、もう1度ブラジル行きを懇願する。「ブラジル行きたいなら口だけじゃなくあなたの本気を見せなさい」。そう親に言われ、次の日から新聞配達を始めた。

夜中の2時に起きて3時から配達が始まる。6時に終わり、そのまま朝練をしに学校へいく。そして、1時間目から4時間目まではエネルギーを蓄えると謎の言い訳をし爆睡。そして、また午後の部活で練習をするという生活を半年ほど続けて、30万円近く稼いだ。

今度は資料ではなく30万円を握りしめて「これでブラジルに行かせてもらいたい」と伝えた。両親はあきれ顔ではあったが、どこかでうれしそうでもあった。僕は三浦知良選手という人を知らなければ、衝動に駆られるくらいに夢中になり、何かを手に入れたいと思うことはなかっただろう。

それから35年。僕も三浦知良選手と同じJリーガーとしてピッチに立っている。三浦知良選手と同じような影響力を与えられるとは思わないが、僕にしかできない勇気や元気の与え方があるのではないかと思っている。中学生時代に衝撃を受けた三浦知良選手という人物に、35年たった今、42歳にして改めて大きな衝撃を受けた。それは憧れからライバル視のような感覚に変わっている。年齢を重ねれば、努力が裏切ることもある。それでも三浦知良選手という人は、大好きなサッカーを思いっきり楽しんでいる。

「もう無理だろ」「いいかげんにしろよ」「いつまでやるんだよ」などたくさんの否定的な意見もある中で、ミスをしようが、シュートを外そうが、堂々と好きなサッカーをプレーしている三浦知良選手を僕らはもっと見習うべきなのではないかと思う。他人の目を気にするうちは本気ではない。そう言われている気がする。

こんなときだからこそ、自分ができることに背を向けず、今この瞬間に夢中になることに恥ずかしがらず、自分が大好きだと思えるその思いの根源を思いっきりつかみ取ってみようじゃないか。人生で一番輝いているのは、成功や失敗も含めて、「旅の途中」であるということ。僕は三浦知良選手から人生で一番大事なのは「今この瞬間にベストを尽くす」ということを35年ぶりに教えてもらった気がする。(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「0円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)


◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、グレミオ・マリンガとプロ契約も、けがで帰国。03年に引退も、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年に旧知のシュタルフ監督率いるYS横浜に移籍。開幕戦のガイナーレ鳥取戦で途中出場し、ジーコの持っていたJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を上回る41歳1カ月9日でデビュー。175センチ、74キロ。

0円Jリーガーとして奮闘するYS横浜のFW安彦(右から2人目)
0円Jリーガーとして奮闘するYS横浜のFW安彦(右から2人目)